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コラム

 (02/04)
 取材を通じて地域の歴史、文化、自然に詳しい人に出会う機会は多い。その人たちの博識ぶりに驚かされることもしばしばだ。古里をこよなく愛し、その土地で暮らす幸福感まで伝わってきて、胸の奥が温かくなる

▼こうした人たちに、ちょっとしたお墨付きを与える制度がご当地検定だ。本県では「もりけん」の愛称を持つ盛岡もの識(し)り検定試験がよく知られる。昨年は岩手の馬に関する検定も奥州市などで行われ、馬について白眉を自認するつわものたちが挑んだ

▼花巻観光協会は1月に「はなまき通検定」を初めて実施した。偉人、産業、観光など4択式の100問を出題し、合格を80点以上とした。結果は68人が受検し、合格したのは北上市の50代男性のみ。かなりの難関となった

▼検定前に対策テキストを配るなどした観光協会にとって、結果はやや予想外だったようだ。合格者には特典として市内観光施設フリーパス証を贈ったが、上位5人に温泉宿泊券も用意していた

▼検定は一回限りの予定から、継続実施の可能性も出てきた。花巻ゆかりの人物は芸術分野だけでも作家の宮沢賢治、詩人の高村光太郎、画家の萬鉄五郎、オペラ歌手の伊藤敦子といった名前が挙がる。賢治に絞った場合、研究者やファンは“全国区”と言っていい

▼岩手の風土から生まれ出たような傑物は、各市町村にひしめいている。埋もれた人物もいよう。顧みられなくなった業績の掘り起こしを、受検者たちに期待したいところ。たとえ検定がなくても、その分野に通じる人生は豊かさの証しになる。

コラム

 (02/03)
 つい先日、当コラムで「世界初、天然ウナギの卵採取に成功」が2011年農林水産研究成果10大トピックスの1位に入ったことを伝えた。謎の生態解明に一歩近づいたかに見えるが、現実は稚魚の水揚げが大きく落ち込む異変が続いている

▼ウナギの人工飼育は、卵から育てるのが難しく、稚魚(シラスウナギ)を種苗にした取り組みが基本。シラス漁は、12月から4月にかけてがシーズンで、相模湾河口(神奈川)や静岡、徳島、鹿児島県などに産地があり、09年から11年にかけての過去2シーズンは不漁続きだった

▼昨年12月に漁期入りした今シーズンも、苦戦が続く。水産庁によると、1月中旬時点で養殖業者が国内外から集めたシラス量は前年同期を約3トン下回る4トンにとどまった。かつてない不漁に、業者向け卸値は前年比2倍、平年比では3倍の異常な高値に結び付いているという

▼しかし漁期中盤から終盤にかけて漁獲量が回復しないとも限らない。ウナギ料理への価格転嫁を判断するのはまだ早いように思われるが、夏場の最需要期「土用の丑(うし)の日」に店頭に並ぶウナギ料理は、1月中旬までに捕獲したシラスの成魚が主体で、深刻な品不足が懸念される

▼一方、物価や株相場の急激な上昇を表す言葉に「うなぎ上り」がある。人の意志を超えて事態が進み、先の読めない状況を比喩する意味合いを持つ。つかみどころのないウナギだけに、完全養殖はそう簡単に実現しそうにもない

▼日本の食文化には欠かせないウナギであり、いつの時代にも庶民の味であり続ける研究成果が待たれる。

コラム

 (02/02)
 「直ちに人体に影響を及ぼすような数値ではない」。東京電力福島第1原発事故を受け、2011年3月16日に当時の枝野幸男官房長官が会見で述べた言葉だ。放射性物質への理解が進んだ今となっては、この発言のポイントが「直ちに」にあることは明白だろう

▼この言い回しは、その後繰り返し使われた。確かに、うそはついていないのだが、問題をできるだけ小さく表現しようとする姿勢が国民の不信感を増し、対応の遅れをはじめさまざまな問題を広げたという点において、罪は重い

▼12月16日に野田佳彦首相は「冷温停止状態」を宣言。冷温停止ではなく、冷温停止状態と「逃げを打った」ことを、不信感たっぷりの国民が気付かないわけがない。政治はどこを向いて行われているのか

▼炉心溶融した核燃料の状態が分からない以上、津波で電源が失われたことが事故原因なのかも確かめようがない。巨大地震が起きた段階で燃料棒は落下していた、という説さえある。津波対策だけに問題を矮小(わいしょう)化するのは早計だろう

▼それでも政府は1月17日、原子炉等規制法改正案の骨子を発表し、原発の運転期間を原則40年とし、「要件を満たせば」さらに20年運転可能とした。最長で60年。国は原発を減らす考えなど毛頭ない、と宣言したに等しい

▼使用済み核燃料の処理の見通しがまるで立たない現状から、いつまで目をそらし続けるつもりなのか。小手先の話術を駆使して問題を先送りにするだけの政権なら「直ちに」お引き取り願いたい、と考える国民は増え続けているのではないだろうか。

コラム

 (02/01)
 古来より、わが国を代表する桜の名所を指して「西の吉野、東の桜川」と並び称された。中でも奈良県の吉野山といえば、都人が憧憬(しょうけい)の思いを募らせた地。今はユネスコの世界遺産にも登録されている

▼ここで長年の間、桜の保護を続けているのが、吉野町にある財団法人吉野山保勝会。先週末、その理事長を務めている福井良盟さんと懇談する機会があった。日の本随一の名所が、1000年以上も守られてきた秘密は何か。いろいろと興味深い話をお聞きした

▼吉野の人々にとって桜は、ご神木であり、聖樹だという。1300年余り前、修験道の開祖と呼ばれる「役(えん)の行者」が、吉野の山中で難行苦行の末に金剛蔵王権現を感得。その姿を傍らにあった桜の木に刻んだことに由来するそうだ

▼それ故に「桜の枝を1本折る者は手の指を1本切り落とす」とまで言われ、大切に育てられた。加えて人々は信仰の証しとして進んで山桜を献木した。「下千本」に「中千本」「上千本」「奥千本」。春を彩る吉野の絶景は、こうした長い歴史によって培われた

▼そして西行の存在も大きかった。「吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき」。この歌人の登場により、かの地は桜の名所として不動のものとなった

▼福井さんは言う。「満開の桜もいいが、それよりも散るときだ」と。山を吹き抜ける風を受けて一斉に舞い上がる花吹雪は、何ともいえない美の世界だと話してくれた。かつて西行が絶賛した束稲山で。そして北上展勝地で。いつかそんな山桜の光景を見てみたいと思った。

コラム

 (01/31)
 「振袖火事」「丸山火事」とも呼ばれる明暦3(1657)年に発生した明暦の大火。数日にわたって江戸の町を焼き尽くし、死者は10万人に上ると伝えられる。江戸はこの大火を機に都市計画が進んだが、その影響は大名、旗本の宅地の引き換え、寺社の移転、広小路の新設など広範に及んだ

▼明暦の大火に由来する祭りが一関市大東町で2月11日に開かれる「一関市・大東大原水かけ祭り」。藩のお触れを受けて高僧が川で火防祈願のみそぎを行い、それが地域の若者に広まったというのが発祥の定説だ

▼「変遷の記録 大原水かけ祭り」(保存会発行)によると、祭りの形は時代によって変貌を遂げてきた。藩政時代は裸になった男たちが通りで水の掛け合いを繰り広げ、最後はけんかのようになって方々に壊れた水おけが散乱した。今のように裸男が水を浴びながら通りを走るようになったのは荷車の普及に伴い、防火水路が道の中央から両側に移った明治以降という

▼全国から200人を超える裸男が参加するようになった昨今は冬の祭りとして定着し、男たちは見物客が浴びせる清め水に無病息災や家内安全、大願成就などの願いを込めている

▼今年は東日本大震災の復興祈願を掲げ、津波で被災した大船渡市と宮城県気仙沼市から太鼓や鹿踊(ししおどり)の団体を招待し、沿岸の早期復興と地域の安寧を祈るという

▼明暦の大火から350年余り。江戸の町と同じく、被災地も今後復興計画が動きだし、新たなまちづくりが進む。未曽有の災害の厄を落とし、復興へ踏みだす誓いの場にもなるかもしれない。
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