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コラム

 (03/14)
 旅立ちの春を迎えた。県内でも高校を皮切りに各地で卒業式が行われている。弥生3月を彩る一大セレモニーの舞台は、これから幼・保育園や小中学校、そして大学などに移ってゆく

▼この時期、学びやに流れる代表的な曲といえば「蛍の光」と「仰げば尊し」だった。いずれも2006年に文化庁などが選定した「日本の歌百選」に入っており、文字通り国民歌といってもよい。このうち「仰げば尊し」は明治の中頃、文部省の役人による合議で作詞された

▼その中には一関市ゆかりの国語学者・大槻文彦がいた。わが国初の近代国語辞典「言海」を編纂(へんさん)したことで知られる人物。このほか「埴生の宿」を作詞した里見義も名を連ねるなど、あの格調高い歌詞の数々は、第一級の学者たちが一つ一つ議論を重ねながら生み出したといわれる

▼しかし、中高年以上であれば最もなじみ深い卒業式の定番も近年、敬遠されているという。その理由は教師崇拝や非民主主義など。特に、2番の歌詞にある「身を立て 名を上げ やよ励めよ」は、立身出世主義の象徴として問題視する向きがあるようだ

▼また、現代の人々には少々難解な言葉が多いこともある。例えば「思えば いと疾(と)し(とても早い)」。耳で聞くと「いとおしい」と解釈してしまいそうだ。他にも「やよ(やい) 忘るな」などがある

▼ところで今、卒業式で流れる曲は何か?若い同僚に聞いてみた。先日取材した学校では君が代と校歌のほか、Jポップが流れていたとか。「明治」はもとより、「昭和」も遠くなりにけり-である。

コラム

 (03/13)
 3学期も残り少なくなり、春休みを終えると新1年生が加わって新学期がスタートする。小学校生活が楽しみの一方で、放課後、児童が過ごす所にも目を配らなければならない

▼授業を終えると、子供たちは集団下校やスクールバスで家路に就くが、共働きの家庭などでは、放課後の子供の居場所確保が必要となる。その対策の一つに児童(学童)クラブがある

▼一関市大東町の大原小学校に通う子供たちが放課後に過ごす「大原児童クラブ」を、今年度で廃止する通知が市からあった。利用する児童が少ないことも背景にあるようだが、これに困惑の表情なのが、新1年生を持つ親たち

▼新学期が始まってからでは子供たちの安全を守れないと、住民と地域が一体で対応する児童クラブに代わった任意組織を立ち上げた。「地域みんなで見守る『わんこ隊』」。犬のように見張り番をするという意味を込めたユニークな名称だ。1~6年生が利用し、上級生が下級生の面倒を見ることや住民との触れ合いを深められるような仕組みにした

▼組織の器はできたものの課題は山積。子供たちを見てくれる地域支援員が集まるのか。何より予算も乏しい。「共働きの家庭にとって児童クラブは欠かせない。身内に預けるといっても難しい面もある」と言う保護者の声は切実だ

▼まさに“手探り状態”での4月開設となりそう。だが、核家族が増える中でこうしたクラブや組織はますます重要となる。それを行政や関係機関がサポートする必要もあろう。「地域の宝であり、未来の宝」の子供たちを守るためにも。

コラム

 (03/12)
 東日本大震災で亡くなった本県関係者の冥福を祈るため、壊滅的な被害を受けた陸前高田市で11日、県と市の合同追悼式が営まれた。同僚の話では午前中に少し雪が舞ったが、式典が始まる頃は青空もあったそうだ

▼数日前から天候が気になっていた。式典会場は特設テント。寒ければ年配の参列者はつらかろう。足元を悩ます涙雨などは降らないか。陰ながら心を砕いていた

▼東京では政府主催の追悼式もあった。ここで野田佳彦首相は「ふるさとの復興」などの誓いを立てた。被災地の苦難に寄り添いながら、日本の再生という歴史的な使命を果たす-とも語った。この言葉、われわれ被災地に生きる者は、胸底に深く刻まねばならない

▼会場には、心臓の冠動脈バイパス手術を受け療養中の天皇陛下の姿もあった。あの震災以来、常に被災地を気に掛けられ、皇后さまと共に本県をはじめ、宮城、福島など各地を訪問されていた。その思いの強さを改めて感じさせられた

▼お言葉を述べられる姿を見ながら、ふと今年の「歌会始の儀」を思い出した。「津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる」。昨年5月、被災者を見舞うため、釜石市と宮古市を訪問された時、天皇陛下が詠まれた歌だった。この日、テレビで映し出された陸前高田市内の海も青く穏やかだった

▼「空知らぬ雨」。涙を意味する別称だ。この1年、沿岸では家族や肉親、知人を失った人たちの“雨”が降った。それ故に、この先は心晴れることが続けば…。昨日一日、さまざまな思いが、わが心を巡った。

コラム

 (03/11)
 時の移ろいは早い。あの大震災から1年が過ぎた。天地を揺るがす巨大地震と、これに伴う大津波によって奪われた命は、全国で1万5800人余り。また、今なお行方が知れない人たちも3100人余りを数えている

▼再び「3・11」を迎えるに当たり、小欄では改めて何を書くべきか。凡夫は迷った。何度も筆を止め、いろいろと悩んだ揚げ句、読者諸氏に向け、頭に思い浮かんだ四つの言葉をつづろうを思った次第だ

▼まずは「祈り」。政府主催の追悼式が、東京都千代田区の国立劇場で開かれる。式典には天皇、皇后両陛下も出席されるという。また、陸前高田市など沿岸の市町村を中心に、県内でも追悼式典が予定されている。発災時刻の午後2時46分。共に祈りましょう-。その一語に尽きる

▼次は「感謝」。この1年、何度も何度も浮かんだ言葉である。思いやりの心、人の情けを改めて知った時間でもあった。特に震災以来、息の長い支援を続けている東京都や大阪府、名古屋市などの協力には言葉では表せぬものがある

▼「協力を」。やはり災害廃棄物の処理なくして沿岸被災地の復旧・復興はあり得ない。放射性物質の問題など懸念材料はあるにしても、広域的な処理体制の推進を改めて呼び掛けたい

▼最後は「忘れない」。大震災から1年が過ぎたことを機に、被災地以外では人々の関心や記憶が薄れることが危惧される。とてつもない犠牲を強いられた今回の震災を決して風化させてはならない。語り継ぎ、絶えず情報を発信していくことが、われわれの大切な役割である。

コラム

 (03/10)
 2月下旬、本県のがれきの試験焼却を行った静岡県島田市の女性から電話を受けた。一関市の焼却施設で沿岸地域から受け入れたがれきを焼いたところ、灰の中の六価クロム化合物が基準値を超えたことを報じた本紙記事を見て連絡をよこしたという

▼がれきの受け入れを決めた島田市の姿勢に疑問を持っていたらしく、受話器を取ると「そちらの方では本当に処理に困っているんですか」と尋ねてきた。がれきが復興の妨げになっている沿岸の現状をありのまま説明したつもりだが、理解してもらえたかどうか分からない

▼震災から1年になるが、全国の自治体によるがれきの広域処理が進まない。処理施設がないこと、放射性物質に対する不安などが受け入れを渋る理由とされるが、処理済みが5%というのはあまりに遅い

▼政府は2014年3月末までにがれきを最終処分する目標を掲げており、野田佳彦首相は処理を推進するため、受け入れ自治体に財政支援する意向を表明。放射線量測定や住民説明会に要する費用を国が負担するほか最終処分場の新設や拡充が必要になった場合の経費も支援するという

▼とは言え、首相が「一番大事なことは、処分場周辺の皆様の理解を得ることだ」と言う通り、受け入れの実現は住民の理解が鍵を握る。財政支援も推進につながるかは定かでない

▼今後はがれき処理推進のため閣僚が受け入れ先の住民に直接説明する場面もあり得るという。これも実効性は不明だが、放射性物質による国民生活の混乱を改めて認識してもらう点では意味があるかもしれない。
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