Archives
You are currently viewing archive for April 2009

観光客に史跡の説明をする地元のボランティアガイド。追加登録の実現を願い、今年度も5月から活動を開始する(資料=長者ケ原廃寺跡)
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産登録を目指す「平泉」の構成資産から外れた四資産のうち白鳥舘遺跡(前沢区)、長者ケ原廃寺跡(衣川区)の二つを抱える奥州市。いずれも「顕著な普遍的価値」の証明が不十分と指摘され、追加登録の可能性に望みを掛けることになった。
相原正明市長は「九資産登録を信じて、住民と共に期待し盛り上げてきた。極めて残念だが確実な登録のためであり、残り四資産を追加登録で進める方針ということであれば理解せざるを得ない」と、慎重に言葉を選んだ。
両資産が国指定史跡となったのは十七年七月。平泉町、一関市の九資産で世界遺産登録を目指す取り組みがスタートした。市町村合併で十八年二月に奥州市が誕生した後は世界遺産登録推進室(前沢総合支所内)を設置し、二十年度までに両史跡に仮設の史跡案内所とトイレを設置した。
また、白鳥舘遺跡で史跡内遊歩道整備、長者ケ原廃寺跡では築地(ついじ)内公有地化などに取り組んだ。両史跡の発掘調査も年次計画に沿って進められている。観光面では昨年十月、奥州藤原氏の初代清衡が江刺郡豊田舘(とよだのたち)から平泉へと本拠を移した故事を再現する祭り「清衡公遷都行列」が初めて開催された。相原市長は「今後さらなる整備や発掘調査の促進など、何らブレーキをかける問題ではない」と、追加登録が実現するまで市の各種施策を継続する決意を示す。
両史跡で昨年度からボランティアガイドを務める市世界遺産ガイドの会の大内浩生会長(70)=前沢区=は「残念の一言に尽きる。追加登録が唯一の望みとなったが楽観はできない。よほどのストーリーを描かない限り厳しいだろう。ともあれ、平泉がまず登録されなければ何も始まらない」と無念さをにじませながらも冷静に分析。「構成資産から外れても、両史跡の価値はいささかも減じたわけではない。追加登録が実現するまでガイド活動は継続したい」と前を向く。

中尊寺とのかかわりの深さを示す本寺地区の行事「骨寺村荘園米納め」。地元住民は追加登録実現をしっかり見据えている=20年12月20日
「本寺地区は稀有(けう)な地域、血統書付きの農村。景観を守りながら地域づくりを進めるこれまでの活動、目標は何ら変わらない。気落ちしないでほしい」。一関市厳美町の本寺地区地域づくり推進協議会アドバイザーの広田純一岩手大農学部教授は、骨寺村荘園遺跡が世界遺産候補地から外れたことにショックを受ける地区民にエールを送る。
同推進協は世界遺産登録を視野に十六年三月に発足。稲作の生産性向上に向けた圃場(ほじょう)整備事業をあきらめ、住民間で話し合いを何度も重ね登録実現への足並みをそろえてきた。
若者が少なく高齢化が進む中山間地。生活の糧を水田農業に求めたかったが、文化的景観との“両立”は不可能で、高齢化も待ったなしで進む。それだけに、田植えや稲刈り体験などの行事、オーナー制度創設、ブランド米や特産品開発といった取り組みを急いできた。
二十年は関係団体などを加えて活動の実践組織、骨寺村二十一世紀フォーラムを結成し、農水省のモデル事業で五カ年のふるさとづくり計画を策定。二十一年度は軽食レストランの運営も始める予定で準備に乗りだした。
佐藤勲会長は「圃場整備をあきらめることは苦渋の選択だった。高齢化が進むだけに、住民の一番の願いは生活の保証。将来を考え、懸命に活動を続けてきた」と強調。誘客の最大の“武器”がなくなることによる悪影響を不安に感じつつも「後戻りはできない。登録がいつ実現するか分からないが、あきらめずに、たとえ実現の夢がかなわなくても前に進むだけ」。切実な思いを語る。
地区内では空き家を改修する形で、重要文化的景観や遺跡の紹介をはじめ農村文化の体験の場、休憩の場となる体験交流施設の整備が着々と進んでいる。
推薦書作成委員会に出席した坂本紀夫副市長は「(骨寺村荘園遺跡を含む)四つを入れたことで、本体そのものの登録が駄目になっては意味がない。地元も頑張っている。どうすれば骨寺が浄土思想と結び付くか、次の登録に向け国と一緒に課題を整理したい」と前を見据える。

文化庁の三谷室長(左)に構成資産から外れることへの憤りを示す住民=4月21日夜、一関生活改善センター
世界遺産登録に再挑戦する「平泉の文化遺産」の構成資産から一関市の骨寺村荘園遺跡が外れる方針が決まったのを受け、文化庁が二十一日夜に地元で開いた住民説明会。三谷卓也世界文化遺産室長に、参加した地元住民から「荘園がなければ平泉もないと言われて頑張ってきた。この五年間は何だったのか。憤りを感じる」「世界遺産になると思い、みんな生活を犠牲にしてきた」と不満が相次ぎ、会場には重い空気が漂った。
同遺跡が構成資産に正式に加わったのは、国史跡に指定された十七年三月。市内初の国史跡、平泉町外への初の構成資産拡大。登録を推進するために資産を拡大すべきとの文化庁の指導によるものだった。
経典を収める中尊寺経蔵の別当領で、鎌倉時代に地域一帯を描いたとされる二枚の絵図「陸奥国骨寺村絵図」が同寺に残る。地形が絵図とほとんど変わらないとして十八年には重要文化的景観にも選定。候補の仲間入りに当初戸惑いを隠せなかった住民も、結成した本寺地区地域づくり推進協議会を中心に登録意識を高めてきた。景観を壊さないよう現代的な圃場(ほじょう)整備もあきらめた。
それだけに再推薦の枠組みから外れたことへのショックは計り知れない。
同推進協の佐藤武雄会長は「文化庁の言うことを信じ、みんな生活を犠牲に頑張ってきた。外されることはないと思っていた」と住民の思いを代弁。市や関係団体でつくる骨寺村二十一世紀フォーラムの一員として活動している佐藤光子さん(厳美町字駒形)も「世界遺産になるのを励みにやってきた」と大きな目標を失って肩を落とす。
しかし、登録への歩みは「どこにでもある、ありふれた田舎の風景」と思っていた住民に、古里の「顕著な普遍的価値」を見直させ、目を向けさせる機会にもなった。「世界遺産登録の火を消すわけにはいかない」「地域活性化に取り組んでいくことに変わりはない」。不満を締めくくる言葉には将来的な追加登録への強い決意を感じさせた。

構成資産を5つに絞り込んだ4月4日の第5回推薦書作成委=文科省
「平泉の文化遺産」は十三年の世界遺産の暫定リスト登載時、平泉町内の中尊寺、毛越寺、無量光院跡、柳之御所遺跡の四つが構成資産だった。ところが、当時の世界遺産委員会の中で資産のスケールの大小が議論されたのを踏まえ、一関市、奥州市を含む五資産が追加され、九つで登録実現に向け本格的に動きだした経緯がある。
文化庁の担当官、県教委生涯学習文化課の中村英俊文化財・世界遺産課長も「広域にしてストーリー性に厚みを持たせないと登録は難しいとの空気だった」と振り返る。ところが世界遺産委での結論は「登録延期」という関係者にとって厳しいものだった。
特に、一関市の骨寺村荘園遺跡、奥州市の白鳥舘遺跡、長者ケ原廃寺跡については、主題の「平泉-浄土思想を基調とする文化的景観」との関連性が薄いとの指摘を受け、登録実現に当たっては評価基準に合致する推薦書の作成と提出を迫られている格好だ。
昨年九月から始まった推薦書作成委員会と二回の国際専門家会議では、主題が「浄土」に傾斜することに併せて構成資産を絞り込む空気が強まり、最終的に浄土世界にかかわりが深く価値の証明ができる五資産を優先させて登録を目指す方向性を確認した。
「文化遺産」の九つの資産をめぐり、説明を聞いた国際専門家の視点と分析、見通しなどが大きく変更する理由となったことは明白だが、国の威信を懸けて登録を実現しなければならない立場に置かれた同作成委としても、後戻りのできない状況下にあるだけに厳しい決断を下す結果ともなった。
絞り込みに当たっては主題に沿った形での普遍的価値の証明が大きな判断材料となったようだが、世界遺産委から指摘された事項について、完全に証明し、基準と合致する方向性も明示しなければならないだけに、手続きの時間を意識しつつ難しい作業が続くのは必至だ。

構成資産を9つから5つに絞り込むことを正式に決めた文化庁と県教委、3市町長の協議。世界遺産登録への再挑戦が始まった=4月23日、平泉町・平泉文化遺産センター
2年後の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産登録を目指す「平泉の文化遺産」の構成資産が当初の9つから5つに絞り込まれた。20年7月の「登録延期」を受け、文化庁は登録を確実なものにすべく価値証明の可能な資産を優先して選択。残された4資産は追加登録を目指す方針。平泉、一関、奥州の2市1町が一丸となって取り組んできた「世界遺産への道」は厳しい決断の下、大幅変更。その意味や経過、今後の見通しなどを探る。(7回続き)
「平泉の文化遺産」の構成資産は国の指導で平泉町の中尊寺、毛越寺、無量光院跡、金鶏山、柳之御所遺跡、達谷窟(たっこくのいわや)と一関市の骨寺村荘園遺跡、奥州市の白鳥舘遺跡、長者ケ原廃寺跡-の九つで進められてきた。
「登録延期」決定後、文化庁は二十三年の登録実現に向けて取り組むことを決め、二十年九月から推薦書作成委員会を開く一方、二十一年二月には国際専門家二人を現地に迎え、九つの資産を視察。
その上で今月四日の第五回推薦書作成委では、非公開の第二回国際専門家会議での意見集約を経て主題は「浄土世界」を柱とし、かかわりの深い中尊寺、毛越寺、無量光院跡、金鶏山に加えて「平泉の浄土世界の基点で政治行政上の拠点として核になっている」(文化庁記念物課の本中眞主任文化財調査官)ことから、柳之御所遺跡を構成資産にすることを最終確認した。
なぜ九つから五つに絞り込まれ、四つが追加候補になったのか。「世界遺産登録を実現しよう」と一つの目標に向かって取り組んできた三市町と、遺跡の保存、価値証明に加えて景観の保存などに地域を挙げて取り組んできた関係住民にとっては簡単に「はい、そうですか」と受け入れられる問題ではない。
文化庁では早速関係市町を訪問して絞り込みの説明を行う一方、追加登録の意向を示し理解を求めた。
これまでの取り組みが決して無駄ではないことを国が評価し、今後の活動についても単なる側面支援にとどまらず明確な後押しを約束するものでなければ関係住民も納得し難い。
段階的な登録を目指すとするなら、なぜ五つの資産に絞り込んだのか、その理由と残る四つの資産については、どのような手法でいつごろの追加登録を目指していくのかの国としての説明も明確にする必要がある。