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本番を間近に控え、選手それぞれが課題克服に取り組みレベルアップを図っている黒沢尻工
第89回全国高校ラグビー大会では、本県代表の黒沢尻工を含め各都道府県予選を勝ち抜いた51代表校(北海道2、東京都2、大阪府3)が頂点を目指す。黒沢尻工は28日の1回戦で、16年前の初戦と同じ和歌山県勢の和歌山工と対戦する。キックオフは午前11時15分。チーム戦力を紹介する。
黒沢尻工はFW8人の平均体重が93キロを超え、伝統の強いFW戦から試合の流れをつかむ「赤べこ軍団」が復活。重量FWの突破力から安定したセットプレー、ディフェンス力の高いバックスを武器に全国に挑む。
HO赤松克哉主将(3年)と左PR高橋拓也(同)、右PR藤原崇慎(同)の重量フロントローは、最前線から相手にプレッシャーを与え、右LO岩舘俊宗(同)はラインアウトとモールからのセットプレーで起点となる。10月の盛岡工との県予選決勝では、前半開始5分で敵陣ゴール前の連続ラックからトライを決めると、8-10で逆転されて迎えた22分、22メートルラインのラインアウトからドライビングモールで相手を押し崩して再逆転、FWの強さと成功率の高いセットプレーを印象付けた。
県予選でチーム最多の5トライを決めたナンバー8堀田京介(同)は、積極的なサイドアタックで相手ディフェンスを突破する。
バックスは、鋭いタックルが持ち味の右CTB橋本豊季(同)を中心に、アタックセンスが光る左CTB堀田隼平(1年)らが攻守に貢献しチームをもり立てる。50メートル6秒台の左WTB佐々木裕次郎(同)は、快足を飛ばし敵陣に縦攻撃で切り込む。
10月の県予選後、チームは花園出場を決めている北海道、東北の6チームと練習試合を行い、新たな課題克服に取り組んだ。FWは接点へ向かうスピードと体力、力強さ、バックスはキックへの対応を強化し、次のステージに向けてさらなる進化を遂げた。
初戦の和歌山工はバックスを中心とした展開力が武器のチーム。赤松主将は「相手がどこでも自分たちのラグビーをするだけ」と闘志を燃やし、高橋智也監督は「普段通りの黒工ラグビーから、FW優位の試合をつくりたい」と3回戦進出を目標に、まずは初戦突破を狙う。(終わり、この企画は山本直樹が担当しました)
◇黒沢尻工の県大会での成績
▽準々決勝
黒沢尻工 88(57-031-10)10 釜石商工
▽準決勝
黒沢尻工 38(24-314-7)10 黒沢尻北
▽決勝
黒沢尻工 38(24-1014-0)10 盛岡工

伝統の強力FWに加えバックス陣が強化された黒沢尻工ラグビー部
2009年4月、新入部員30人が入った。ラグビー経験が浅い1年生だが、伸びしろも含めて高橋智也監督(35)は「下級生も試合で使うことがある」と日ごろから選手に言い続けていた。5月の県高総体ラグビー決勝、08年の新人大会では自慢の強力FWで退けた盛岡工に苦戦を強いられた。苦しい場面で高橋監督は、成長著しい1年生バックス2人をグラウンドに送り出したが追い上げかなわなかった。ナンバー8堀田京介選手(3年)は「高総体の悔しさがあったから今がある」と、ターニングポイントとなった試合を振り返る。
県高総体決勝以降、1年生が頻繁に試合に出場するようになった。佐々木裕次郎選手(1年)は走力を武器にチームのポイントゲッターとなり、堀田隼平選手(同)はアタックセンスとハンドリングの良さで攻守に活躍するなど、急成長を遂げる1年生部員もいた。
試合に起用される選手の入れ替わりが激しくなったが、赤松克哉主将(3年)は「下級生には能力があったが、試合経験が浅かった。グラウンド上で3年生が一緒に考えて分かるように説明した」と、上級生が下級生をフォローすることでチームが融合した。
1年生の台頭はチーム内の競争も生んだ。橋本豊季選手(3年)は2年の夏の交流試合で左ひざ十字靭帯(じんたい)損傷のけがを負い、チームに合流したのは今年の4月。「3年生がもっと頑張って、後輩を指導できるようにならなければ」と、筋トレで下半身を強化しタックルとディフェンス力を向上させるなどバックスリーダーに成長した。
6月の東北高校ラグビー大会では、3年生を中心にしたFWに加え1年生バックスが多く起用された。大会では八戸西(青森)に57-26、秋田(秋田)に31-24で勝利し、秋田工(同)には34-20で敗れはしたものの、新しい布陣に高橋監督は手応えを感じていた。
迎えた全国高校ラグビー大会県予選決勝直前、高橋監督はホワイトボードに「すべてを出し切る」と一行書き記した。「競ったゲームになった場合は負けると思った。前半から圧倒的な力で勝つため、視覚に訴えた」と振り返る。狙い通り選手それぞれが持ち味を発揮して、風下の前半をFWのパワープレーで圧倒、風上の後半からはバックス陣が奮闘し総合力で勝利した。
全国に向けて赤松主将は「1、2回戦を勝って元旦に黒工ラグビーを見せ付けたい」と意気込む。強いFWに加え、バックス陣が強化された新たな「赤べこ」軍団の復活を全国に知らしめる。

約1メートルのタックルダミーを使って低い重心からタックルを繰り出す黒沢尻工ラグビー部の選手
黒沢尻工が全国高校ラグビー大会に出場するのは1993年以来16年ぶり、県予選での決勝進出も12年ぶりだった。古豪と呼ばれながら花園から遠ざかっていたチームがいかに再建されたか、花園切符を手にするまでの軌跡を追う。
10月の第89回全国高校ラグビー大会県予選決勝-。黒沢尻工は8-10で盛岡工に逆転を許して迎えた前半22分、相手陣内22メートルラインアウトからのモールをゴールに向けて徐々に押し込む。赤と黒の塊となった選手がじわりじわりと歩を進めスタンドの歓声が一層大きくなった時、一気に選手がゴール前になだれ込んで再逆転を決めた。「赤べこ」軍団復活を印象付けるドライビングモールの瞬間だった。
同校が第72回大会に出場した際、左プロップの主将として全国の舞台で活躍した高橋智也監督(35)が、4年ぶりに同校に赴任したのは2008年。黄金時代を知る高橋監督は、長年にわたり同校ラグビー部を指導した高橋正栄コーチ(64)と共に、93年以来花園から遠ざかっていたチームの再建に取り組んだ。
チーム強化のために、選手の基本的な生活態度を改めることから指導した。あいさつをすることから始め、話を聞く態度、用具や部室など物を大事にすることを徹底し、「ラグビー部員の前に黒工生であれ」と呼び掛けた。赤松克哉主将(3年)は「強豪校と対戦するたび、強いチームはあいさつや態度などでも一流だと知った」と言うように、徐々に高橋監督の考えが浸透していった。
練習では、伝統の強いFWの復活に取り組んだ。基本となるタックルでは、重心を低くして相手に飛び込むよう選手に徹底させるため、通常よりも低い約1メートルのタックルダミーを特注。また、常に試合の一場面を想定し毎回明確なテーマを持った練習を取り入れ、選手が自ら考えながら取り組むように指導した。
高橋監督の「グラウンドに出たら上下関係はない」との持論から、試合や練習中、選手は名前で呼び合い課題克服に取り組む。赤松主将は「みんなが一つになってできるよう互いに声を掛け合い、集中して練習している」、ラインアウト・モールリーダーの岩舘俊宗選手(3年)は「セットプレーを成功させるために選手同士で話し合っている」と話す。
成果が表れたのは08年の新人大会。現3年生を中心としたチームで常勝盛岡工に19-7で快勝し優勝を飾った。練習で培った鋭いタックルからプレッシャーを与え続けて、相手を力で封じ込めた一戦だった。
高橋コーチは「今も昔も生徒はみんな良い子。あとは指導者が導くだけ」と語り、高橋監督は「目指すは伝統のFWを中心としたパワーラグビー。FWが前で勝負しバックスを生かして勝利を勝ち取りたい」と全国大会に向けて力を込める。
OBで元日本代表 千田美智仁さん

16年ぶりに花園出場を果たした後輩にエールを送る千田美智仁さん
ラグビー界に数々の優秀な人材を送り出してきた黒沢尻工。その中でも最も記憶に残る選手として名前が挙がるのが千田美智仁さん(51)。1985年、日本選手権で新日鉄釜石が7連覇の偉業を達成した時の立役者であるとともに、日本代表FWとしても活躍した。そんな千田さんが現役中に実践し、苦しい場面でも支えた言葉が「練習は一番下手、試合は一番うまいと思って臨め」。黒沢尻工の当時の監督が、自分を信じて戦うよう選手に何度も繰り返した言葉だった。
千田さんが、黒沢尻工に入学したのは74年。入学試験の時、下駄箱で人一倍大きな靴を見付けた当時ラグビー部のFWコーチ高橋正栄さん(現外部コーチ)が「これほど大きな靴を履く子は、将来相当体が大きくなる」と玄関で待ち伏せし、帰り際の千田さんに声を掛けた。野球部への入部を考えていた千田さんだったが、高橋さんの積極的な誘いから「ラグビー部の方が自分を必要としてくれている」と思いラグビーを始めた。
入部当初は新入部員に優しかったラグビー部だったが、夏合宿からはそれまでとは打って変わって厳しい練習が待っていた。炎天下で2時間半の走り込みのほか、試合前に主将が選手全員のほおを平手でたたき気合を入れるのは当たり前だった。千田さんは「1年のころはとにかくつらかった。ラグビーが楽しくなったのは試合で勝つ喜びを知った2年生から」と語る。

75年の東北高校ラグビー大会2回戦、相手ディフェンスを押し崩しトライする千田美智仁さん(千田さん提供)
第55回全国大会で、チームは4強入りを果たす。千田さんを含め身長180センチ以上の選手を複数そろえ、スクラムとモールの強さを武器に大差で相手を圧倒。一気に準決勝まで上り詰めた。準決勝では試合巧者の目黒(東京)を相手にスクラムトライ2本を決めたが、キックでディフェンスをかき乱されダブルスコアで敗れた。「あっという間の出来事で、ノーサイドの笛が鳴った時まだ試合があるものだと思った」と、千田さんは振り返る。
今年の県中総体で優勝した北上市立南中学校でラグビーを指導している千田さんは、16年ぶりにひのき舞台に立つ後輩の活躍に加え、教え子も全国に挑戦することを喜んでいる。千田さんは「県予選決勝のような低いタックルで前に出てFWが突進し、いいボールをバックスに出せれば勝機は見える。自分を信じて思い切ったプレーで全国レベルを体に刻んできてほしい」とエールを送る。
千田 美智仁(ちだ・みちひと)北上市出身、51歳。黒沢尻工を経て1977年に新日鉄釜石入社。ロックをはじめフランカー、ナンバー8で79年からのV7に貢献する。日本代表のキャップ数は26。現在、新日鉄エンジニアリング盛岡営業所長を務める傍ら、北上市のクラブチーム「ブレイズラガー」のアドバイザー。
扉を開いた 岩手は変わる

「岩手から日本一が出るのは時間の問題」と語る佐々木監督
甲子園は春準優勝、夏4強で通算8勝2敗。新潟国体での1勝を加えれば、佐々木洋監督が率いた花巻東は今年の全国大会で、最も勝利を挙げたチームとなった。
「盛岡一や盛岡大附、一関学院など、うちじゃなくても岩手のチームは甲子園で勝てていたと思う。それだけ今年の岩手のレベルは高かった。うちのレベルを上げたのもほかのチーム。岩手から日本一が出るのは時間の問題」
その強さが今年に限ったものでは、強豪県と呼ばれるようにはならない。どうすれば日本一に手が届くのか。
「まず、投手が一枚では駄目だと痛感した。連戦を勝ち抜くには2、3人の投手が必要。小技はほかに引けを取っていないので、あとは打撃。そしてやってやるんだ、絶対に日本一になるんだという気持ち。今年のチームは絶対に扉を開いた。次に岩手から甲子園に出るチームは恐らく相当の重圧が掛かる。初勝利ぐらいじゃ喜べない。勝って当然の雰囲気の中で勝ち進めるかどうかも重要になってくる」
強さとともに、花巻東は全力疾走などその取り組む姿勢が全国のチームから称賛された。県内でも花巻東のように人間教育に力を入れるチームが増えてきている。
「高校野球の手本になりたいとやってきたが、勝ったからこそ言える、成績を残さなければと思っていた。われわれは野球のロボットを育成しているのではない。これから岩手が変わる。中学も、スポ少も、シニアも。うちのチームでも、大学を卒業したら指導者になりたいという選手が多いが、岩手の教育も変えるぐらいの意気込みでみんなでやっていきたい」
花巻東の物語はいったん幕を閉じた。だが、頂点への思いは尽きることはない。岩手のチームが切磋琢磨(せっさたくま)しながら、日本一への挑戦は続いていく。
(終わり、報道部・北村亮)
佐々木 洋監督(ささき・ひろし) 黒沢尻北高、国士舘大卒。横浜隼人高(神奈川)でコーチを務めた後、2001年に花巻東の監督に就任。「人間形成のための野球」をモットーに、甲子園は05年夏、07年夏、09年春夏の計4度出場。北上市出身。
“生みの親”高橋正栄さん

赤べこ軍団の“生みの親”と呼ばれている高橋正栄さん
第89回全国高校ラグビー大会(27日開幕、大阪・花園ラグビー場)に北上市の黒沢尻工が本県代表として16年ぶり(24度目)に出場する。「赤べこ」軍団と呼ばれ、全国にその名をとどろかせた古豪の復活に寄せられる期待は大きい。チームの歴史と伝統を、ラグビー部外部コーチの高橋正栄さん(64)と、OBで日本代表としても活躍した千田美智仁さん(51)の話からひもとく。
高橋さんは、黒沢尻工ラグビー部を指導して通算35年。全国大会出場24回のうち22回、コーチや監督として携わり、OBや関係者からは赤べこ軍団の“生みの親”といわれている。「正栄先生がいなかったら、ラグビーを続けていなかった」と話す現役選手もいるほど周囲の信頼感も厚い。伝統の強力FWを軸としたチームづくりについて、高橋さんは「ゴールラインまで最短距離で攻撃できるため、相手は防ぎようがない」と自負する。
黒沢尻工は黒、赤の横じまジャージー。FWのスクラムを組む姿勢と前進する力強さが持ち味で、第55回大会で4強入りしたころから、全国のラグビーファンの間で赤べこ軍団と呼ばれるようになった。
長い指導経験の中で、高橋さんが最も印象に残っている試合は、第52回大会準決勝の目黒(東京)戦。ゲームはみぞれが横殴りに吹きすさぶ悪条件の中で開始。前半はリードしていたが、後半にミスから逆転を許す。終了間際、勝敗の行方が懸かったペナルティーゴール(PG)はわずかにクロスバーの下に外れ、初の決勝進出はならなかった。

国学院久我山(東京)と死闘を演じた第58回大会
高橋さんは「『泥の中の青春』というタイトルで雑誌の表紙にもなった試合。勝負には運も必要。運をつかむためにも、練習が必要だと痛感した」と振り返る。この敗戦が糧となり、後に赤べこ軍団と称されるチームは全国強豪校の仲間入りを果たした。
第58回大会ではスクラムの強さに加え、キック・アンド・ラッシュを徹底。決勝まで一気に上り詰め、準優勝に輝いた。「強いFWを基礎にしたチームづくりが間違いではなかった」。これまでの取り組みが証明された大会でもあった。
フィフティーンに継承される赤べこ魂とは「ひたむきに練習を頑張ること。これが伝統」ときっぱり。今大会に向けて「2試合に勝ち、元日に(西Aシードの)東福岡(福岡)に一泡吹かせたい」と意気込む。(5回続き)
高橋 正栄(たかはし・まさえ)北上市出身、64歳。1967年から母校の黒沢尻工に実習教諭として赴任しラグビー部の顧問になる。以来FWコーチや監督を務め、99年に一関工に転任。2006年3月、同校で定年を迎えた。現在は黒沢尻工ラグビー部の外部コーチとして教え子でもある高橋智也監督と共に指導を手掛ける。
「雄星は打たれる」と危機管理

準々決勝明豊戦の五回終了後、選手をベンチ前に座らせて鼓舞する佐々木監督=8月21日、甲子園
夏の全国選手権で、花巻東は一躍優勝候補の最右翼と評された。注目度が日に日に増す中、初戦の相手はセンバツ優勝の清峰(長崎)を地方大会で破った長崎日大に決まり、佐々木洋監督とナインは高ぶっていた。
「あの清峰に勝ったのなら、うちが勝ってさらに上だということを証明しようと。ファイティングポーズを取り、チャレンジャー精神で臨むことができた」
迎えた初戦。花巻東は大黒柱の菊池雄星投手(3年)がよもやの3本塁打を浴びるも、打線が奮起して試合をひっくり返した。
「雄星が打ち込まれる時が来るとは思ったが、それは(トーナメントの)途中だと思っていた。まさか初戦で打たれるとは。でも(佐々木)大樹(2年)の積極的なバッティングと正確なバントで勝つことができた」
長崎日大戦の逆転勝ちで勢いに乗り、横浜隼人(神奈川)、東北(宮城)を撃破。センバツ以来の再戦となった準々決勝明豊(大分)戦では序盤にペースを握ったものの、菊池投手が故障で降板して流れが一変する。
「雄星は初戦の前日まですごくいい状態だったが、試合では調子が良すぎるので力みまくっていた。隼人戦の後に整列して引き揚げる時、雄星から『注射を打ちたい』と言われた。その後も痛がっていたが、東北戦では力が抜けていいと思っていたぐらいで、あそこまで痛い状態とは思っていなかった。明豊戦では試合中に(スタンドの)トレーナーから駄目だというサインが出された」
エースが降板して絶体絶命の危機だったが、選手はあきらめることなく試合に臨み、終盤に劇的な逆転を見せ、県勢90年ぶりの4強入りを果たした。
「選手には大会前から、雄星は打たれるからと言っていた。明豊戦でも雄星が降りた時点で逆転されるからと言ったが、そこから勝負と声を掛けた。危機管理がうまくいったと思う。あの勝ちでうちに優勝の風が吹いていると思ったが…」
東北勢初の優勝へ期待が高まったが、頼みの菊池投手のけがは回復しなかった。準決勝の中京大中京(愛知)戦で大敗を喫し、悲願の日本一は夏も果たせなかった。
闘志見失い重圧に苦しむ

苦難の末に春夏連続の甲子園出場を決め、ナインに胴上げされる佐々木監督=7月24日、盛岡市・県営球場
目標の日本一をあと一歩のところで逃し、花巻東の佐々木洋監督や選手は落ち込んでいた。しかし、傷心のナインを待っていたのは、岩手のファンの温かい声援だった。
「負けて本当に残念で仕方がなかった。せっかくのチャンスを逃し、日本一にはもうなれないと思ってしまった。でも、大阪からの帰りに仙台空港で準優勝を祝う横断幕があって驚いた。報告会にも大勢の市民の皆さんが来てくれて、たかが野球なのにこんなに応援してくれるんだと感動した。もう一度日本一を目指そうと勇気をもらった」
しかし、センバツを終えた後の選手には、達成感が生まれた。練習にもいまひとつ身が入らない。
「モチベーションが下がるのは分かっていた。(昨年)秋を終えた段階で川村(悠真主将・3年)に『センバツに選ばれてもメーンは夏。春を終えた後に切り替えてやってくれ』と伝えていたが、案の定テンションが下がった。こちらの言葉が全く響かなかった」
チーム状態が上がらないままで春の県大会を制したが、東北大会では初戦で八戸西(青森第3代表)によもやの敗戦を喫する。だが、この苦杯がナインを奮い立たせた。
「ショックを与える意味で春の県大会で負けないかなとひそかに思っていたが、優勝してしまった。やばいと思っていた時に東北大会で負けた。第3代表で言い訳できない相手。ここで再び闘志に火が付いた。結果的にあそこで負けて良かった」
再び日本一という目標に向けチームは一丸となり、緊張感を高めて夏の岩手大会を迎えた。初戦となった2回戦の久慈戦でいきなりエース菊池雄星投手(3年)が先発する。
「久慈は強く、正直怖かった。きっちり勝って次に行くためにも雄星を使った。慎重だった」
この一戦をコールド勝ちしてチームは波に乗る。決勝では盛岡一を2-1で下し、春夏連続の甲子園出場を決めた。
「盛岡一には昨秋の県大会でコールド勝ちしていたので、負けられないと硬くなったが、何とか勝てた。決勝後に川村が涙を流したように、みんなプレッシャーを感じていた」
重圧を乗り越え、春に果たせなかった日本一への挑戦権を獲得した。
悩んだ猿川先発が当たり

南陽工戦で同点弾を放った猿川選手(背番号5)を迎えるナインと佐々木監督(右)=3月31日、甲子園
花巻東の選手たちは常に「目標は日本一」と口にしていた。以前の岩手の選手にとっては、果てしなく遠いイメージのある言葉だが、ナインは本気だった。佐々木洋監督がその理由を明かす。
「(昨年)秋の神宮大会を見に行ったら、思った以上にレベルが高くなかった。というよりも、東北地区のレベルの高さを再確認した。大会から帰ってすぐ選手に『おい、本気で日本一になれるぞ』と声を掛けた」
その目標に向けたスタートとなったのが、センバツ1回戦の鵡川(北海道)戦。神宮大会4強で強打が売りだったが、自信を持って臨んでいた。
「神宮で見た時、打撃は確かにすごいものがあったが、バント処理などにすきがあった。打者さえ抑えれば何とかなると思った。試合になると予想通りの展開になった」
快進撃を続け、県勢初の決勝進出を決めたが、最もポイントとなったのはどの試合だったのか。その答えは意外にも準々決勝の南陽工(山口)戦だった。この試合の先発はエースの菊池雄星投手(3年)ではなく、本来は三塁手の猿川拓朗選手(同)だった。
「いかに決勝で雄星にいい状態で投げさせるかを考えていた。トーナメントを見て、相手を準々決勝がPL学園(大阪)、準決勝は早稲田実(東京)と予想し、本当は準決勝で猿川を使おうと思っていた。だが両方とも負けてもくろみが崩れた。本当に悩んで南陽工で猿川を先発させ、試合中は緊張していた。3点リードされて苦しかったが、猿川の本塁打で追い付いた時だけは、はしゃいでしまった」
いよいよ念願の日本一まであと1勝と迫ったが、清峰(長崎)に0-1で敗れて大旗の「白河越え」は果たせず。敗因は何だったのか。
「気合が入り過ぎていたのが一つ。そして五回に(佐藤)隆二郎(3年)がフライを打ち上げて走らなかったことを怒ってしまい、ベンチの雰囲気が悪くなった。いつもならリードされても盛り上がっていくのに。わたしが原因だった」
取り組む姿勢も日本一を目指していただけに、全力疾走を怠ったことを見逃せなかった。日本一の夢は夏へと持ち越された。
2度の失敗生かし調整成功

センバツ出場が決まり、ナインと共に喜ぶ佐々木監督=1月23日、花巻東高
センバツ出場校の選考委員会が開かれた1月23日、佐々木洋監督は期待と不安が入り混じる中でその時を待った。結果は“当確”。花巻東のセンバツ初出場が決まった。
「選出される可能性はかなりあると思っていた。選ばれたときに恥ずかしくないゲームをするために、準備だけはしておこうと思って、秋から冬にかけてそれなりの練習をしていた」
歓喜の瞬間から、センバツに向けた挑戦が本格的に始まった。だが、地方大会から全国選手権まで間がない夏と違い、春は2カ月近く期間が空く。すべてが初体験で戸惑いの連続だった。
「春用の練習は当然必要だが、夏のための練習も欠かせず迷った。一関学院の沼田(尚志)監督からもいろいろアドバイスしてもらった。合宿は三重、千葉で2回やったが、プロのキャンプでの第1、第2クールのように間を置いたのは成功した。続けてやっていたら、選手は壊れていたかもしれない」
さらに、過去2回の甲子園出場経験が大きかった。いずれも苦杯を喫していたが、失敗の教訓が生かされる。
「いかに体をいい状態に持っていくか、戦う状態に持っていけるかがポイント。以前は長期間の滞在で筋力が落ちてしまったので、今年はウエート器具を現地に持ち込んだ。病院関係者も知り合いになり、風邪を引いた際には部屋まで来てくれるようになっていた」
教訓は調整に限らない。甲子園では練習時間が制限されるなど規制が多く、報道対応も重要。以前は佐々木監督が一人で対応していたが、スタッフの充実が図られた。
「過去2回はわたし自身が振り回されてイライラしていた。それは選手にも伝わってしまっていた。だが、今回は部長に任せられる部分は任せるなど、体制が整った。わたしも余計なことを考えずに集中して試合に臨めた。目に見えない部分が大きかった」
花巻東はまさに万全の状態で、本番を迎えることになった。
◇ ◇
今年最も県民を熱狂させた高校野球の花巻東。その激闘の日々を、指揮を執った佐々木監督の証言、裏話を交えて振り返る。(5回続き)