1日行われた藤沢高校の閉校式典で校歌を斉唱する卒業生と同窓生、歴代教職員ら。それぞれの時代の学びやの思い出を胸に声を合わせた
1日行われた藤沢高校の閉校式典で校歌を斉唱する卒業生と同窓生、歴代教職員ら。それぞれの時代の学びやの思い出を胸に声を合わせた
 「岩手県立藤沢高等学校の校旗を返納します」。三月一日、縄文ホールで開かれた藤沢高校の閉校式典。箱崎安弘県教育委員長に対する校旗返納の際、大鹿糠文行校長は涙で一瞬声を詰まらせた。約二百七十人の出席者が改めて藤高五十七年の歴史を思い、閉校の重さを感じた瞬間だった。

 畠山博藤沢町長は式典のあいさつで「藤沢高校の誕生は戦後の混乱が収まらないわが町に勇気と活力、希望を与えてくれた」と、戦後の農村で新時代のシンボルとなった同校の存在を語った。

 地域の熱望が実り誕生した学びや。町を象徴する「藤沢野焼祭」への参加、姉妹都市があるオーストラリアとの国際交流、町内行事でのよさこいソーラン演舞…。同校は平成に入っても、中山間の町に高校生らしい若さと活気を振りまいた。

 千厩高との統合、閉校が決定したのは平成十七年度。十八年度から生徒の募集を停止し同年度は二、三年生、十九年度は二十八人の三年生だけで学校生活を送ることになった。しかし、教職員や同窓会、PTAの関係者でつくる「藤高を讃(たた)える会」が生徒の活動を全面的に支援。学校と地域の間には以前にも増して強いきずなが生まれた。

 大鹿糠校長は一日の卒業証書授与式で「諸君は後輩のいない高校生活を過ごしてきたが、全員が一致協力し、本校発展の推進役として活躍してくれた」と最後の生徒の頑張りを讃えた。代表であいさつした及川広紀君は「この三年間は私たちの心にずっと残るし、藤沢高校を応援してくれたすべての方々の記憶に残るものと信じている。三年間の日々とここで出会えたすべての人に心から感謝したい」と述べた。

 三月下旬。同校舎にもう生徒の姿はない。しかし、町は二十年度同校の施設を県から取得し、八月にもこの地に藤沢中を移転する方針。高校としての役割を終えた校舎に新たな命を吹き込む。

 岩渕英生町教育長は「閉校になって、校舎が朽ち果てたり、跡形もなくなったりするのは本当につらいことだと思う。同窓会や関係者の思いを大切にして校舎を使わせていただきたい」と話す。

 讃える会の会長を務めた小野寺君雄同窓会長は「藤沢高校は県立の高校だが、地域の人たちは長い間町立の高校というような意識があったと思う。閉校は寂しいが、町や県、地域の皆さんの協力があり、先生方にも最後まで藤高を見届けてもらった。いつまでも藤高を語り継いでいきたい」と改めて母校に寄せた人々の思いをかみしめる。