日清戦争が始まって、後藤新平に転機が来た。その機会をもたらしたのは石黒忠悳である。石黒は名古屋の愛知県病院長から内務省衛生局勤務に抜擢した過去があるので、新平の身の振り方に責任を感じていた。石黒は日清の開戦とともに、野戦衛生長官に就任した。

 石黒は後藤新平を遊ばせておくのはよくない。差し当たり必要なことはやり甲斐のある仕事を新平に与えることだと考えて、日清開戦と同時に置かれた広島の大本営に呼び寄せた。

 石黒は「どうだろう。もう一度役所へ勤める気はないか…」

 「…いや、役人は真っ平です。役人はその地位にあるうちは、人はちやほやしてくれるが、一度、失脚すれば見向きもしなくなる」

 「しかし、新平だって何かしなければなるまい。中央衛生会の委員になっておいたらどうだろう」

 新平は不承々々ながら、中央衛生会の委員にさせられた。

 石黒忠悳には一つのもくろみがあった。

 清国との戦争は日本軍の連戦連勝、講和が目前に。やがて戦争が終われば、将兵はどっと帰ってくる。国民は歓呼の声で迎えれば済むが医学関係者にとっては重大問題が待ち受けている。それは傷病兵への対応だ。

 石黒忠悳にとっては清国のように衛生制度の不備な国に何か月も転戦すると、チフス、赤痢等の伝染病にかかる者が数知れないことが問題だった。それは明治十年の西南戦争で経験済みだった。その時と違うのは国を挙げての戦争であり、帰還者は軍夫、従丁まで入れると百万人ということで、一人の保菌者も国内へ入れぬためには対応によほど腰を据えてかからなければならない。石黒忠悳長官は陸相、内務相に建議書を出して、大規模な検疫設備を設ける必要を訴えた。

 中央衛生会でもこの問題について審議の結果、委員長長谷川泰名で内務相宛に同様趣旨の建議をした。

 石黒の建議書は中央衛生会に回付され、具体策を諮問した。

 その任に選ばれたのは委員になり立ての後藤新平であり、相馬事件で世間から一時は白眼視された新平には手腕を発揮して、名誉を回復してもらいたいという石黒の温情を感じさせられる。

児玉の下、臨時陸軍検疫部へ

広島県宇品付近の似島に建っている後藤新平の銅像(写真提供・野田尚紀)
広島県宇品付近の似島に建っている後藤新平の銅像(写真提供・野田尚紀)
 任務を与えられた後藤新平は、簡単な実施計画をまとめ、広島へ行き、参謀次長川上操六中将に面会、川上中将は新平の用向きを聞くと、軍隊の検疫は後方勤務の問題なので、所管は参謀本部でなく陸軍省だという。新平は陸軍次官の児玉源太郎少将に面会し、計画を説明した。児玉は四十三歳。後藤新平が児玉源太郎を知る最初である。この時までは台湾で一緒に仕事をすることになるとは夢にも思わなかったであろう。

 児玉は言った。「…検疫の問題は重大である。野戦でいろいろ悪いバイ菌をいっぱい背負ってきた兵隊たちをそのまま上陸させたら、日本中が病巣になる。厳重な検査をする必要がある」

 児玉は石黒忠悳衛生長官から新平について予備知識を吹き込まれていた。話が終わって児玉は「…君、軍医部に入ってこの仕事を責任を持ってやってくれないか」と要望した。児玉と新平の会話…。

 「いやです。私は牢屋(相馬事件で)を出る時、一生役人にならないと決心しました」

 「お国のために引き受けてくれ」

 「軍人は嫌いです」

 「軍人になるのがどうしてもいやなのなら文官のままで軍人を使えるような官制を別に作ってもいい」

 後藤新平はむりやり説得されて、引き受けさせられた。

 明治二十八(一九〇五)年三月三十日、臨時陸軍検疫部に官制が発布され、関連する人事も発令された。部長は将官として、児玉陸軍次官が当たり、後藤新平は事務官長に任命された。実際には新平が万事を指令するのだが、軍人仲間に睨みを利かすということで、児玉が部長の地位に就いたのである。

検疫所建設に手腕発揮

 臨時検疫部が真っ先にやらなければならぬ仕事は、検疫所を設置することだった。大軍を次々に検疫するには大規模でなければならぬ。検疫部は、似島(広島県宇品付近)彦島(下関付近)桜島(大阪付近)の三カ所に設けられた。

 一日で検疫できる人員は似島が五千~六千人、彦島、桜島がそれぞれ二千五百~三千人。三カ所合わせて一日に一万人以上消化し得る設備が必要だが、各島には消毒部、停留舎、避病院、事務所、兵舎、倉療、炊事場、便所等を建てねばならない。全部で五百棟である。

 しかも、三カ月のうちに建てねばならない。間もなく三つの島に百万の将兵が来る。これを聞いて建築担当の陸軍技師は、三カ月で五百棟なぞ無理だと首をタテに振らない。新平は、「無茶でない注文なら素人でもできる。それをこなすのが、君ら玄人ではないか- 」と押しつけた。こうして二カ月足らずで建築された。

 検疫所は問題を抱えた。巨大な蒸気消毒罐を据えなければならない。全部で十三個、事前に川崎造船所などへ注文していた。関係者は不眠不休で取り組まねばならなかった。どうにか間に合った。

 検疫開始が迫るにつれて心配事が新平につきまとい、児玉に相談した。それは「軍人は今や、天下に怖いものなしです。この鼻息で医者のいうことを聞かなかったら検疫できません」だった。

 児玉は「わしに考えがある。任せておきなさい」と。