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扉を開いた 岩手は変わる

「岩手から日本一が出るのは時間の問題」と語る佐々木監督
甲子園は春準優勝、夏4強で通算8勝2敗。新潟国体での1勝を加えれば、佐々木洋監督が率いた花巻東は今年の全国大会で、最も勝利を挙げたチームとなった。
「盛岡一や盛岡大附、一関学院など、うちじゃなくても岩手のチームは甲子園で勝てていたと思う。それだけ今年の岩手のレベルは高かった。うちのレベルを上げたのもほかのチーム。岩手から日本一が出るのは時間の問題」
その強さが今年に限ったものでは、強豪県と呼ばれるようにはならない。どうすれば日本一に手が届くのか。
「まず、投手が一枚では駄目だと痛感した。連戦を勝ち抜くには2、3人の投手が必要。小技はほかに引けを取っていないので、あとは打撃。そしてやってやるんだ、絶対に日本一になるんだという気持ち。今年のチームは絶対に扉を開いた。次に岩手から甲子園に出るチームは恐らく相当の重圧が掛かる。初勝利ぐらいじゃ喜べない。勝って当然の雰囲気の中で勝ち進めるかどうかも重要になってくる」
強さとともに、花巻東は全力疾走などその取り組む姿勢が全国のチームから称賛された。県内でも花巻東のように人間教育に力を入れるチームが増えてきている。
「高校野球の手本になりたいとやってきたが、勝ったからこそ言える、成績を残さなければと思っていた。われわれは野球のロボットを育成しているのではない。これから岩手が変わる。中学も、スポ少も、シニアも。うちのチームでも、大学を卒業したら指導者になりたいという選手が多いが、岩手の教育も変えるぐらいの意気込みでみんなでやっていきたい」
花巻東の物語はいったん幕を閉じた。だが、頂点への思いは尽きることはない。岩手のチームが切磋琢磨(せっさたくま)しながら、日本一への挑戦は続いていく。
(終わり、報道部・北村亮)
佐々木 洋監督(ささき・ひろし) 黒沢尻北高、国士舘大卒。横浜隼人高(神奈川)でコーチを務めた後、2001年に花巻東の監督に就任。「人間形成のための野球」をモットーに、甲子園は05年夏、07年夏、09年春夏の計4度出場。北上市出身。
「雄星は打たれる」と危機管理

準々決勝明豊戦の五回終了後、選手をベンチ前に座らせて鼓舞する佐々木監督=8月21日、甲子園
夏の全国選手権で、花巻東は一躍優勝候補の最右翼と評された。注目度が日に日に増す中、初戦の相手はセンバツ優勝の清峰(長崎)を地方大会で破った長崎日大に決まり、佐々木洋監督とナインは高ぶっていた。
「あの清峰に勝ったのなら、うちが勝ってさらに上だということを証明しようと。ファイティングポーズを取り、チャレンジャー精神で臨むことができた」
迎えた初戦。花巻東は大黒柱の菊池雄星投手(3年)がよもやの3本塁打を浴びるも、打線が奮起して試合をひっくり返した。
「雄星が打ち込まれる時が来るとは思ったが、それは(トーナメントの)途中だと思っていた。まさか初戦で打たれるとは。でも(佐々木)大樹(2年)の積極的なバッティングと正確なバントで勝つことができた」
長崎日大戦の逆転勝ちで勢いに乗り、横浜隼人(神奈川)、東北(宮城)を撃破。センバツ以来の再戦となった準々決勝明豊(大分)戦では序盤にペースを握ったものの、菊池投手が故障で降板して流れが一変する。
「雄星は初戦の前日まですごくいい状態だったが、試合では調子が良すぎるので力みまくっていた。隼人戦の後に整列して引き揚げる時、雄星から『注射を打ちたい』と言われた。その後も痛がっていたが、東北戦では力が抜けていいと思っていたぐらいで、あそこまで痛い状態とは思っていなかった。明豊戦では試合中に(スタンドの)トレーナーから駄目だというサインが出された」
エースが降板して絶体絶命の危機だったが、選手はあきらめることなく試合に臨み、終盤に劇的な逆転を見せ、県勢90年ぶりの4強入りを果たした。
「選手には大会前から、雄星は打たれるからと言っていた。明豊戦でも雄星が降りた時点で逆転されるからと言ったが、そこから勝負と声を掛けた。危機管理がうまくいったと思う。あの勝ちでうちに優勝の風が吹いていると思ったが…」
東北勢初の優勝へ期待が高まったが、頼みの菊池投手のけがは回復しなかった。準決勝の中京大中京(愛知)戦で大敗を喫し、悲願の日本一は夏も果たせなかった。
闘志見失い重圧に苦しむ

苦難の末に春夏連続の甲子園出場を決め、ナインに胴上げされる佐々木監督=7月24日、盛岡市・県営球場
目標の日本一をあと一歩のところで逃し、花巻東の佐々木洋監督や選手は落ち込んでいた。しかし、傷心のナインを待っていたのは、岩手のファンの温かい声援だった。
「負けて本当に残念で仕方がなかった。せっかくのチャンスを逃し、日本一にはもうなれないと思ってしまった。でも、大阪からの帰りに仙台空港で準優勝を祝う横断幕があって驚いた。報告会にも大勢の市民の皆さんが来てくれて、たかが野球なのにこんなに応援してくれるんだと感動した。もう一度日本一を目指そうと勇気をもらった」
しかし、センバツを終えた後の選手には、達成感が生まれた。練習にもいまひとつ身が入らない。
「モチベーションが下がるのは分かっていた。(昨年)秋を終えた段階で川村(悠真主将・3年)に『センバツに選ばれてもメーンは夏。春を終えた後に切り替えてやってくれ』と伝えていたが、案の定テンションが下がった。こちらの言葉が全く響かなかった」
チーム状態が上がらないままで春の県大会を制したが、東北大会では初戦で八戸西(青森第3代表)によもやの敗戦を喫する。だが、この苦杯がナインを奮い立たせた。
「ショックを与える意味で春の県大会で負けないかなとひそかに思っていたが、優勝してしまった。やばいと思っていた時に東北大会で負けた。第3代表で言い訳できない相手。ここで再び闘志に火が付いた。結果的にあそこで負けて良かった」
再び日本一という目標に向けチームは一丸となり、緊張感を高めて夏の岩手大会を迎えた。初戦となった2回戦の久慈戦でいきなりエース菊池雄星投手(3年)が先発する。
「久慈は強く、正直怖かった。きっちり勝って次に行くためにも雄星を使った。慎重だった」
この一戦をコールド勝ちしてチームは波に乗る。決勝では盛岡一を2-1で下し、春夏連続の甲子園出場を決めた。
「盛岡一には昨秋の県大会でコールド勝ちしていたので、負けられないと硬くなったが、何とか勝てた。決勝後に川村が涙を流したように、みんなプレッシャーを感じていた」
重圧を乗り越え、春に果たせなかった日本一への挑戦権を獲得した。
悩んだ猿川先発が当たり

南陽工戦で同点弾を放った猿川選手(背番号5)を迎えるナインと佐々木監督(右)=3月31日、甲子園
花巻東の選手たちは常に「目標は日本一」と口にしていた。以前の岩手の選手にとっては、果てしなく遠いイメージのある言葉だが、ナインは本気だった。佐々木洋監督がその理由を明かす。
「(昨年)秋の神宮大会を見に行ったら、思った以上にレベルが高くなかった。というよりも、東北地区のレベルの高さを再確認した。大会から帰ってすぐ選手に『おい、本気で日本一になれるぞ』と声を掛けた」
その目標に向けたスタートとなったのが、センバツ1回戦の鵡川(北海道)戦。神宮大会4強で強打が売りだったが、自信を持って臨んでいた。
「神宮で見た時、打撃は確かにすごいものがあったが、バント処理などにすきがあった。打者さえ抑えれば何とかなると思った。試合になると予想通りの展開になった」
快進撃を続け、県勢初の決勝進出を決めたが、最もポイントとなったのはどの試合だったのか。その答えは意外にも準々決勝の南陽工(山口)戦だった。この試合の先発はエースの菊池雄星投手(3年)ではなく、本来は三塁手の猿川拓朗選手(同)だった。
「いかに決勝で雄星にいい状態で投げさせるかを考えていた。トーナメントを見て、相手を準々決勝がPL学園(大阪)、準決勝は早稲田実(東京)と予想し、本当は準決勝で猿川を使おうと思っていた。だが両方とも負けてもくろみが崩れた。本当に悩んで南陽工で猿川を先発させ、試合中は緊張していた。3点リードされて苦しかったが、猿川の本塁打で追い付いた時だけは、はしゃいでしまった」
いよいよ念願の日本一まであと1勝と迫ったが、清峰(長崎)に0-1で敗れて大旗の「白河越え」は果たせず。敗因は何だったのか。
「気合が入り過ぎていたのが一つ。そして五回に(佐藤)隆二郎(3年)がフライを打ち上げて走らなかったことを怒ってしまい、ベンチの雰囲気が悪くなった。いつもならリードされても盛り上がっていくのに。わたしが原因だった」
取り組む姿勢も日本一を目指していただけに、全力疾走を怠ったことを見逃せなかった。日本一の夢は夏へと持ち越された。
2度の失敗生かし調整成功

センバツ出場が決まり、ナインと共に喜ぶ佐々木監督=1月23日、花巻東高
センバツ出場校の選考委員会が開かれた1月23日、佐々木洋監督は期待と不安が入り混じる中でその時を待った。結果は“当確”。花巻東のセンバツ初出場が決まった。
「選出される可能性はかなりあると思っていた。選ばれたときに恥ずかしくないゲームをするために、準備だけはしておこうと思って、秋から冬にかけてそれなりの練習をしていた」
歓喜の瞬間から、センバツに向けた挑戦が本格的に始まった。だが、地方大会から全国選手権まで間がない夏と違い、春は2カ月近く期間が空く。すべてが初体験で戸惑いの連続だった。
「春用の練習は当然必要だが、夏のための練習も欠かせず迷った。一関学院の沼田(尚志)監督からもいろいろアドバイスしてもらった。合宿は三重、千葉で2回やったが、プロのキャンプでの第1、第2クールのように間を置いたのは成功した。続けてやっていたら、選手は壊れていたかもしれない」
さらに、過去2回の甲子園出場経験が大きかった。いずれも苦杯を喫していたが、失敗の教訓が生かされる。
「いかに体をいい状態に持っていくか、戦う状態に持っていけるかがポイント。以前は長期間の滞在で筋力が落ちてしまったので、今年はウエート器具を現地に持ち込んだ。病院関係者も知り合いになり、風邪を引いた際には部屋まで来てくれるようになっていた」
教訓は調整に限らない。甲子園では練習時間が制限されるなど規制が多く、報道対応も重要。以前は佐々木監督が一人で対応していたが、スタッフの充実が図られた。
「過去2回はわたし自身が振り回されてイライラしていた。それは選手にも伝わってしまっていた。だが、今回は部長に任せられる部分は任せるなど、体制が整った。わたしも余計なことを考えずに集中して試合に臨めた。目に見えない部分が大きかった」
花巻東はまさに万全の状態で、本番を迎えることになった。
◇ ◇
今年最も県民を熱狂させた高校野球の花巻東。その激闘の日々を、指揮を執った佐々木監督の証言、裏話を交えて振り返る。(5回続き)