
伝説の種牡馬「シアンモア」

昭和初期、東京優駿(日本ダービー)三年連続優勝馬の父となったのが、種牡馬としてイギリスから小岩井農場(雫石町)に輸入されたシアンモア。種牡馬としての偉業を成し遂げ「偉大なる父」の名をほしいままにし、「サラブレッドの小岩井」の名を全国に知らしめた。
同農場展示資料館によると、小岩井農場では明治時代から当時最先端の技術で馬を生産。明治四十年から競走馬の生産を開始した。そのころは富国強兵の国策に乗り、馬の体位向上のため外国の大型馬を輸入し始めたという。
当時、日本にサラブレッドは数えるほどしかいなかったが、強い馬を作るには必要な血だった。そこで明治四十年、英国から第一号となるインタグリオ輸入に踏み切り、昭和三年には英国ダービー三着の実績を持つシアンモアを当時破格値の十二万円で輸入した。
ちょうど競馬も盛んになってきた時期。「当時の競馬は、優秀な種馬を選抜する意味合いがあった。いい血を残し改良し、そうでない馬は去勢し使役馬として使っていたようだ」と野沢裕美館長は語る。競馬で勝つためではなく、あくまで国内馬のレベルアップ、国の発展が第一目的だった。その意味で小岩井農場は、日本サラブレッドの草分け的存在と言っても過言ではない。
シアンモアの子は昭和七-九年、それぞれ別の三頭が日本ダービーで「三連覇」。その血はさらに他の血脈の良さをも引き出し、子孫は数多くの名馬を輩出した。
シアンモアは昭和二十八年、二十九歳で死亡したが、半世紀後の平成十九年、九代目の子孫に当たるウオッカが、牝馬として六十四年ぶりに日本ダービーで優勝。小岩井農場産のシアンモアの娘、牝馬系の血を受け継ぎ、再び同じ冠レースで、日本中の競馬ファンの注目を浴びた。シアンモア、小岩井産の血は今なお、日本競馬界で脈々と生き続けている。

日本ダービー3年連続優勝馬の父となり、小岩井の名を全国に知らしめたシアンモア=小岩井農牧提供
同農場展示資料館によると、小岩井農場では明治時代から当時最先端の技術で馬を生産。明治四十年から競走馬の生産を開始した。そのころは富国強兵の国策に乗り、馬の体位向上のため外国の大型馬を輸入し始めたという。
当時、日本にサラブレッドは数えるほどしかいなかったが、強い馬を作るには必要な血だった。そこで明治四十年、英国から第一号となるインタグリオ輸入に踏み切り、昭和三年には英国ダービー三着の実績を持つシアンモアを当時破格値の十二万円で輸入した。
ちょうど競馬も盛んになってきた時期。「当時の競馬は、優秀な種馬を選抜する意味合いがあった。いい血を残し改良し、そうでない馬は去勢し使役馬として使っていたようだ」と野沢裕美館長は語る。競馬で勝つためではなく、あくまで国内馬のレベルアップ、国の発展が第一目的だった。その意味で小岩井農場は、日本サラブレッドの草分け的存在と言っても過言ではない。
シアンモアの子は昭和七-九年、それぞれ別の三頭が日本ダービーで「三連覇」。その血はさらに他の血脈の良さをも引き出し、子孫は数多くの名馬を輩出した。
シアンモアは昭和二十八年、二十九歳で死亡したが、半世紀後の平成十九年、九代目の子孫に当たるウオッカが、牝馬として六十四年ぶりに日本ダービーで優勝。小岩井農場産のシアンモアの娘、牝馬系の血を受け継ぎ、再び同じ冠レースで、日本中の競馬ファンの注目を浴びた。シアンモア、小岩井産の血は今なお、日本競馬界で脈々と生き続けている。
【メモ】日本ダービー第2回の昭和8年カブトヤマ、第3回の9年フレーモア、第4回の10年ガヴァナー。この3年連続優勝馬の父がシアンモア。他の産駒も皐月賞、桜花賞でも優勝し、数々の主要レースのタイトルを手にした。岩手競馬の重賞レースでは今もシアンモア記念として顕彰されている。