
初の三冠馬「セントライト」

幾多の優駿を生み出した小岩井農場(雫石町)。中でも昭和十六年に日本競馬史上初の中央三冠馬(皐月賞、東京優駿=通称日本ダービー、菊花賞)となったセントライトの偉業は、今も燦然(さんぜん)と光り輝いている。
同農場で生まれたセントライト。成熟時の体高は一六五センチ、体重五〇〇キロに達しようとする巨漢馬で、黒鹿毛の毛並みもりりしい優駿だったと言われる。騎乗したのは盛岡市出身で、中央競馬でもトップジョッキー、名調教師として名をはせた小西喜蔵(一九〇八-八九年)。人馬ともに「岩手産」で快挙を遂げた。
普段は非常におとなしく、扱いも楽な馬とされるが、レースでは決して他に譲らなかったと言われる。三年連続日本ダービー優勝の子馬を輩出した小岩井の名種牡馬・シアンモアとは別系統だけに「当初、それほど期待されていなかったと聞く。天才肌ではなかったが、勝負どころで強い馬だったようだ」と小岩井農場展示資料館の野沢裕美館長は語る。
戦後も小岩井産の馬は中央の数々の主要レースで優勝したが、昭和二十四年、農地改革を掲げるGHQの命令で育馬部は廃止。種牡馬となっていたセントライトやシアンモアなどはすべて外に出された。ここで小岩井の馬の歴史は途絶えたが、三十九年に小岩井の血を引くシンザンが戦後初の三冠を達成したことから、セントライトが「日本初の三冠馬」として一躍注目された。
三冠馬はシンザン以降、五十八年のミスターシービーまで十九年間現れず、平成十七年のディープインパクトまで歴代六頭(変則、牝馬除く)しかいない。岩手競馬を扱うメールマガジン・テシオの松尾康司編集長は「距離の長短に対応でき、スピード、タフネス、運を兼ね備えるオールマイティーな馬でないと取れない。歴代の三冠馬を見れば、そのすごさが分かる」と、セントライトの偉業を語る。岩手が生み出した夢の三冠馬の伝説は、六十七年たった今も色あせない。

日本競馬史上初の中央3冠を達成したセントライト。馬上の小西喜蔵騎手と加藤雄策馬主=小岩井農牧提供
同農場で生まれたセントライト。成熟時の体高は一六五センチ、体重五〇〇キロに達しようとする巨漢馬で、黒鹿毛の毛並みもりりしい優駿だったと言われる。騎乗したのは盛岡市出身で、中央競馬でもトップジョッキー、名調教師として名をはせた小西喜蔵(一九〇八-八九年)。人馬ともに「岩手産」で快挙を遂げた。
普段は非常におとなしく、扱いも楽な馬とされるが、レースでは決して他に譲らなかったと言われる。三年連続日本ダービー優勝の子馬を輩出した小岩井の名種牡馬・シアンモアとは別系統だけに「当初、それほど期待されていなかったと聞く。天才肌ではなかったが、勝負どころで強い馬だったようだ」と小岩井農場展示資料館の野沢裕美館長は語る。
戦後も小岩井産の馬は中央の数々の主要レースで優勝したが、昭和二十四年、農地改革を掲げるGHQの命令で育馬部は廃止。種牡馬となっていたセントライトやシアンモアなどはすべて外に出された。ここで小岩井の馬の歴史は途絶えたが、三十九年に小岩井の血を引くシンザンが戦後初の三冠を達成したことから、セントライトが「日本初の三冠馬」として一躍注目された。
三冠馬はシンザン以降、五十八年のミスターシービーまで十九年間現れず、平成十七年のディープインパクトまで歴代六頭(変則、牝馬除く)しかいない。岩手競馬を扱うメールマガジン・テシオの松尾康司編集長は「距離の長短に対応でき、スピード、タフネス、運を兼ね備えるオールマイティーな馬でないと取れない。歴代の三冠馬を見れば、そのすごさが分かる」と、セントライトの偉業を語る。岩手が生み出した夢の三冠馬の伝説は、六十七年たった今も色あせない。
【メモ】セントライトは昭和13年、父ダイオライトと名牝馬フリッパンシーを母に誕生。12戦9勝で、実働はわずか1年。3冠のレースはすべて重馬場で「道悪巧者のセントライト」の異名も持った。3冠達成後、課せられる重いハンディを背負うのを嫌い引退。シンザンの3冠達成から数カ月後の昭和40年、27歳で死んだ。