
玉山発祥の民謡「外山節」(盛岡)

本県を代表する民謡・外山節。「駒コ育てる萩刈りに」など、歌詞の中には随所に馬が登場する。歌の発祥は宮内省の御料牧場(外山牧場)のあった現盛岡市玉山区で、時代は明治中期とされる。歌詞からも当時、住民と馬との密着した生活ぶりがうかがえる。
明治中期に発足した御料牧場では多くの馬が育成され、人夫が草刈り作業の際にうたったのが外山節の始まりとされる。「外山育ちでも駒コに劣る 駒コ千両で買われゆく」「わらび折り貯めたる銭コ 駒コ買うとて皆つかった」と歌詞にある通り、由緒ある牧場の馬は庶民や人夫の誇りであり貴重な収入源だった。
特に戦前までは、農耕馬としても貴重な存在だった。外山節の伝統を守り続ける玉山区民謡保存会事務局長の高橋トミさん(76)は、「冬の寒い朝も馬が吐く白い息を見て火をたき、子供たちが冷たい水を飲んでも馬には温かい水をやっていた。夏は馬に蚊が寄れば、すぐ煙をたいた。人よりまず馬に餌を与えるなど、何をするにも馬優先だった」と、子供だった昭和初期当時のエピソードを語る。
さらに、「火事があったとき、一番先に馬を連れ出したと聞く。当時は貧しかっただけに、家族みんなで馬を大事にしていた」(高橋さん)というほど、馬は重宝がられていたようだ。だが戦後、トラクターが出てくると農耕馬の存在も次第に影が薄くなっていった。
一方、外山節は昭和初期に民謡として編曲されて以来、県内外の民謡愛好家らに広く親しまれるようになった。同保存会は外山節の伝統を守り続け毎年、外山節全国大会を開催。今年、七月二十七日の大会で二十二回目を数える。大会事務局長を兼務する高橋さんは「地元の歴史を残す意味で、一人でも多くうたえる子供たちが増えてくれれば」と語る。歌詞に込められた馬の歴史も含め、今後も地元の誇る文化を後の世代に伝承していくつもりだ。
玉山区民謡保存会事務局長・高橋トミさん(76) 子供のころ家で農耕馬を飼っており、気が強く暴れる馬もいて大変だったのを覚えている。耳をガブっとやられたこともあり正直怖かったが、馬が競りに出されるたびに寂しい思いをした。当時は馬そりや馬車も普通に通っていた。馬が大事にされていたことを、今の子供たちにも分かってほしい。

外山節を含め民謡の練習に励む玉山区民謡保存会の関係者。地元の誇る文化を守り、伝承し続けている=5月、盛岡市玉山区の好摩公民館
明治中期に発足した御料牧場では多くの馬が育成され、人夫が草刈り作業の際にうたったのが外山節の始まりとされる。「外山育ちでも駒コに劣る 駒コ千両で買われゆく」「わらび折り貯めたる銭コ 駒コ買うとて皆つかった」と歌詞にある通り、由緒ある牧場の馬は庶民や人夫の誇りであり貴重な収入源だった。
特に戦前までは、農耕馬としても貴重な存在だった。外山節の伝統を守り続ける玉山区民謡保存会事務局長の高橋トミさん(76)は、「冬の寒い朝も馬が吐く白い息を見て火をたき、子供たちが冷たい水を飲んでも馬には温かい水をやっていた。夏は馬に蚊が寄れば、すぐ煙をたいた。人よりまず馬に餌を与えるなど、何をするにも馬優先だった」と、子供だった昭和初期当時のエピソードを語る。
さらに、「火事があったとき、一番先に馬を連れ出したと聞く。当時は貧しかっただけに、家族みんなで馬を大事にしていた」(高橋さん)というほど、馬は重宝がられていたようだ。だが戦後、トラクターが出てくると農耕馬の存在も次第に影が薄くなっていった。
一方、外山節は昭和初期に民謡として編曲されて以来、県内外の民謡愛好家らに広く親しまれるようになった。同保存会は外山節の伝統を守り続け毎年、外山節全国大会を開催。今年、七月二十七日の大会で二十二回目を数える。大会事務局長を兼務する高橋さんは「地元の歴史を残す意味で、一人でも多くうたえる子供たちが増えてくれれば」と語る。歌詞に込められた馬の歴史も含め、今後も地元の誇る文化を後の世代に伝承していくつもりだ。
玉山区民謡保存会事務局長・高橋トミさん(76) 子供のころ家で農耕馬を飼っており、気が強く暴れる馬もいて大変だったのを覚えている。耳をガブっとやられたこともあり正直怖かったが、馬が競りに出されるたびに寂しい思いをした。当時は馬そりや馬車も普通に通っていた。馬が大事にされていたことを、今の子供たちにも分かってほしい。