
「馬っこつなぎ」(花巻・北上など)

南部曲がり屋を背景にした田んぼの水口に置かれた二頭のわら馬。よく見ると、それぞれの口元を一本の縄でつないだ姿で供えられている。「馬っこつなぎ」。かつて県内の山間部などで伝えられていた年中行事が毎年六月になると、北上市立博物館みちのく民俗村で再現されている。
旧暦の六月十五日に行われていた五穀豊穣(ほうじょう)と無病息災を祈願する風習の一つで、同博物館によると、県内では、川井村から南側の北上高地沿いの地域を中心に行われていた。しかし、今もなお昔ながらの伝統行事を守り続けている地域は、遠野市や花巻市大迫町内川目地区など数えるほどになっている。
わらで作る馬は三十センチ前後の大きさ。これを井戸やわき水、田んぼの水口などに供え、日常生活や農耕に欠かせない水への感謝の思いを表す。
また、馬を奉納するのは、この時期、田の神が稲の育ち具合を見に来るため、馬で送るという言い伝えのほか、農耕に使われた馬の健康も祈願している、ともいわれる。
さらに、馬を二頭ずつ供えることについては、▽神様が乗る馬と荷物を載せる馬▽雄と雌▽親と子-などの諸説があるようだ。
花巻市大迫町内川目地域で唯一、この風習が残る久出内地区では毎年、新暦の六月十五日に行われる。霊峰・早池峰を仰ぎ見る全十六戸の小さな集落。当日を迎えると、早い家では日の出とともに田んぼや近くの神社などを回り、わら馬を供え始める。
同地区の場合、馬の口に米の粉で作ったシトギやもちを、クズやササの葉で包んだものをくわえさせるのが習わしだ。また、わらの馬を作れない家々は、その代わりとして馬の絵が描かれた紙を細い竹に張り付けて供え祈願する。
農作業の多くを人の手や馬に頼った昔の農村では、今で言う「日曜日」という概念はなかった。馬っこつなぎなどの年中行事は、農耕にかかわる神々をあがめ、馬をいたわるとともに、人々が休息する農村ならではの行事だった。
「馬っこつなぎ」を伝承する花巻・久出内の柳田長寿さん(77) この地域は、かつて農耕馬や軍馬の産地であり、曲がり屋造りの家も数多くあった。特産の葉タバコの肥料としても馬の堆肥(たいひ)は欠かせなかった。人馬が共に生活した名残が「馬っこつなぎ」です。昔は内川目の各地で行われていたが、今でも受け継いでいるのは久出内地区だけ。この伝統を絶やさないよう今後も守り続けていきたい。

田んぼの水口に置かれた「馬っこつなぎ」の供え馬=北上・みちのく民俗村
旧暦の六月十五日に行われていた五穀豊穣(ほうじょう)と無病息災を祈願する風習の一つで、同博物館によると、県内では、川井村から南側の北上高地沿いの地域を中心に行われていた。しかし、今もなお昔ながらの伝統行事を守り続けている地域は、遠野市や花巻市大迫町内川目地区など数えるほどになっている。
わらで作る馬は三十センチ前後の大きさ。これを井戸やわき水、田んぼの水口などに供え、日常生活や農耕に欠かせない水への感謝の思いを表す。
また、馬を奉納するのは、この時期、田の神が稲の育ち具合を見に来るため、馬で送るという言い伝えのほか、農耕に使われた馬の健康も祈願している、ともいわれる。
さらに、馬を二頭ずつ供えることについては、▽神様が乗る馬と荷物を載せる馬▽雄と雌▽親と子-などの諸説があるようだ。
花巻市大迫町内川目地域で唯一、この風習が残る久出内地区では毎年、新暦の六月十五日に行われる。霊峰・早池峰を仰ぎ見る全十六戸の小さな集落。当日を迎えると、早い家では日の出とともに田んぼや近くの神社などを回り、わら馬を供え始める。
同地区の場合、馬の口に米の粉で作ったシトギやもちを、クズやササの葉で包んだものをくわえさせるのが習わしだ。また、わらの馬を作れない家々は、その代わりとして馬の絵が描かれた紙を細い竹に張り付けて供え祈願する。
農作業の多くを人の手や馬に頼った昔の農村では、今で言う「日曜日」という概念はなかった。馬っこつなぎなどの年中行事は、農耕にかかわる神々をあがめ、馬をいたわるとともに、人々が休息する農村ならではの行事だった。
「馬っこつなぎ」を伝承する花巻・久出内の柳田長寿さん(77) この地域は、かつて農耕馬や軍馬の産地であり、曲がり屋造りの家も数多くあった。特産の葉タバコの肥料としても馬の堆肥(たいひ)は欠かせなかった。人馬が共に生活した名残が「馬っこつなぎ」です。昔は内川目の各地で行われていたが、今でも受け継いでいるのは久出内地区だけ。この伝統を絶やさないよう今後も守り続けていきたい。