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コラム 記者ワープロ

稗貫氏の子孫、平泉に 安永風土記に系図 花巻史談会調査

(12/18)
稗貫氏の系譜を解明した「稗貫郡主の子孫 毛越寺一山にあり」を手にする花巻史談会の堀合会長(左)と佐藤脩事務局長

稗貫氏の系譜を解明した「稗貫郡主の子孫 毛越寺一山にあり」を手にする花巻史談会の堀合会長(左)と佐藤脩事務局長

「通説覆す画期的史実」

 【花巻】花巻史談会(堀合德身会長)は、和賀・稗貫一揆で滅亡したとされる稗貫氏の最後の当主広忠の末裔(まつえい)が平泉に居ることを解明し、その調査結果を「稗貫郡主の子孫 毛越寺一山にあり」にまとめた。平泉に逃れた広忠の子孫が寺を興して僧侶となり、その血筋は今も受け継がれているとするもの。戦乱で途絶えたとされる稗貫氏の通説を覆す史料として注目されている。

 1590(天正18)年の豊臣秀吉による小田原征伐に出陣しなかったことで所領を没収された広忠は、これに反抗して和賀義忠とともに蜂起するが、秀吉の命を受けた仕置軍に鎮圧され、義忠は戦死、広忠は逃走して没したというのが通説となっている。

 調査は、中尊寺一山の観音院観智坊が広忠の子孫といわれているとしたことを端緒に1997年に着手。一時中断していたが、2015年から2年をかけ、同坊から提供のあった「稗貫家譜」などの関係資料を基に調べを進めてきた。

 同会によると、広忠は平泉に逃れて潜居するが、1600(慶長5)年の花巻城夜襲で討死する。この間に生まれた二男の佐太郎が17歳で中尊寺西谷坊の婿養子(菅野姓)となり、2人の子をもうける。長男の堯岳(ぎょうかく)は途絶えていた観智坊を興すが、稗貫の名跡が途絶えるのを嘆いた佐太郎は二男の数馬(かずま)を連れて廃寺となっていた毛越寺金剛院を再興し、稗貫の姓を数馬に与えて鳥屋ケ崎坊を号したとしている。

 1774(安永3)年、当時の田村藩主に提出した「安永風土記」には中尊寺、毛越寺両山の開山から当住までの歴代の道号、実名を書き出した項があり、確認された鳥屋ケ崎坊の系図から稗貫氏の子孫であることが明確になったとしている。

 系図から広忠の子孫は、鳥屋ケ崎坊では8世秀印(しゅういん)以降確認できるとしており、観智坊では5世以降は不明ながら、2、3、4世は稗貫氏の子孫であるとの見方を強めている。

 稗貫氏の事跡や系図に関しては曖昧な点も多く、諸説がある中で示された今回の調査報告。堀合会長は「安永風土記が決め手となり、稗貫氏の系譜が広忠で途絶えることなく、平泉で脈々と連なっていることが解明された。これまでの言い伝えを覆す画期的な史実だと確信している。調査に協力を頂いた両山をはじめ関係者に感謝したい」と話し、結果に手応えを表している。