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コラム 記者ワープロ

詩「案内」の風景一望 智恵子展望台にデッキ 高村記念館整備事業

(4/13)

「智恵子展望台」のデッキで話す高村記念会山口支部の照井支部長と高村光太郎連翹忌運営委員会の小山代表(左)。背後には光太郎の詩「案内」そのままの風景が広がる

 詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)が晩年の一時期を過ごした花巻市太田にある「智恵子展望台」に、改修に伴ってデッキが新設された。10日は地元住民や市の担当者、光太郎顕彰団体の関係者が訪れ、眼下に広がる風景を基に光太郎が物した詩そのままの景観を楽しんだ。

 高村山荘近くの丘の上に設けられたデッキは9メートル四方。以前からあったあずまやも、高村光太郎記念館から高村山荘まで約120メートルの遊歩道新設などを含めた2016年度の同記念館整備事業で、デッキとともに市が改修整備した。総事業費は2000万円。

 同日は、高村記念会山口支部の照井康徳支部長や花巻高村光太郎記念会の高橋邦広事務局長、高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会の小山弘明代表、市の市川清志生涯学習部長ら約20人が来訪。共に光太郎の詩を朗読するなどし、偉人を縁とした交流と景観を楽しんだ。

 丘の上は、かつて光太郎が亡き妻への思いを募らせたとされることから、「智恵子展望台」として親しまれてきた。これまでは樹木で視界が遮られていたが、デッキが斜面に設けられたことにより、詩「案内」で「展望二十里南にひらけて」とされた風景が一望できるようになった。

 小山代表は、実際に光太郎を知る地元住民が高齢なことを踏まえ「光太郎の詩は地元の宝。孫やひ孫にも素晴らしい詩があることを伝えていってほしい」と呼び掛けた。照井支部長は「緑が生い茂る5月の高村祭が今から楽しみ。ぜひ多くの人に足を運んでほしい」と期待を込めた。

 1945年の東京大空襲で東京のアトリエを失った光太郎は、知己の間柄だった宮沢賢治の生家を頼り花巻に疎開。同年10月に当時の太田村山口に移り、52年まで独居自炊の山荘暮らしを続けた。