ホーム 県内外 一関・両磐 胆江 北上 花巻 動画ニュース
2016年12月
« 11月  
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
コラム 記者ワープロ

人生初 じいちゃんと乾杯 孫世代が追悼の言葉 戦争の記憶継承へ誓い新た

(9/20)
山形市で開かれた「もや・いふ部隊友の会」の慰霊祭で追悼の言葉を述べる小岩さん(槻山さん提供)

山形市で開かれた「もや・いふ部隊友の会」の慰霊祭で追悼の言葉を述べる小岩さん(槻山さん提供)

 太平洋戦争で召集され、フィリピンで戦死した東北地方の兵士の遺族らで組織する「もや・いふ部隊友の会」は、部隊が戦地へと旅立った山形市で慰霊祭を開いた。本県からも一関市や奥州市から10人が出席。会員の高齢化が進み年々出席者が減る中、初めて兵士の孫が追悼の言葉を述べ、戦争の記憶と平和の継承を誓った。

 「もや・いふ部隊」は1944(昭和19)年、岩手、山形両県出身者を中心に召集。「もや部隊」1508人、「いふ部隊」245人が山形市から戦地に赴いた。本県からは両部隊合わせて約300人が動員され、大半が戦死。生還者は十数人といわれている。

 友の会は、69年にもや部隊の遺族と生還者で結成し、数年後にいふ部隊も合流。現在は生還者2人を含む約230人の会員がいる。

 会発足当初から継続し48回目となる今年の慰霊祭は、11日に同市山寺の立石寺で開かれ、生還者の佐藤宮雄さん(92)=仙台市=をはじめ約70人が出席。清原浄田前貫主(88)を導師に法要や講話が行われた。

 孫世代として初めて追悼の言葉を述べた小岩和幸さん(62)=一関市萩荘=の祖父良平さん=当時(36)=は、もや部隊としてフィリピン・ルソン島の神威(かむい)山付近で亡くなった。

 小岩さんは慰霊巡拝でフィリピンを訪ねた時のことを回想。「読経が流れ、焼香の煙が漂う中、酒の栓を開ける時、じいちゃん俺の肩に乗ったでしょう。だから酒がこぼれたんだ。人生初のじいちゃんとの乾杯。うれしくて涙が止まらなかった。生きていればいろいろなことを話したかったし、楽しいお酒が飲めたのに。残念です」と語り、「もや・いふ遺族はあなた方みんなの帰りを70年過ぎた今でも待っています。戦友全員で帰ってきてください。来年もまた来ます」と結んだ。

 同会事務局の槻山勝宏さん(72)によると、今年の出席者は例年の3割減。遺児の平均年齢も75歳を超え、体力的な理由などで出席を見送る会員が増えている。一方で、父母や祖父母に付き添い参加する兵士の孫が今年は20人ほどいたという。

 「慰霊祭は2年後に50回の節目を迎える。戦争を目の当たりにし、『二度とやってはならない』と強く願って会を発足させた生還者や未亡人、兵士の親らの思いをもう一度洗い出し、次に伝えていくことが大事になる」と槻山さん。

 小岩さんは「戦争では何の罪もない人間同士が殺し合った。その事実を後世に語り継いでいかなければならないと思う」と語った。