ホーム 県内外 一関・両磐 胆江 北上 花巻 動画ニュース
2017年2月
« 1月  
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728 
コラム 記者ワープロ

旧御家人の不遇伝える 北上市内民家から古文書

(1/19)

士族復帰を願い出た復禄請願書と族籍訂正願。旧御家人の窮状が記されている

明治初期の本通り地図も

 【北上】黒沢尻(現北上市)で旧盛岡藩の御家人が明治時代、士族復帰を政府に嘆願した「復禄請願書」「族籍訂正願」と、同じく明治時代初期に完成した同市本通りの詳細な地図が市内の民家から発見された。かつての御家人の窮状と明治時代の土地の状況を明確に示すもので、北上史談会の和賀篤子会長(84)はいずれも「貴重な史料」と評している。

明治初期に完成した北上市本通りの地図。住宅裏の畑の持ち主も明確に記載されている

 これらが見つかったのは、同市鍛冶町1丁目の城戸良公さん(54)宅。父良悦さんが2015年10月に死去した後、良悦さんの妻香公さん(76)が遺品を整理していて発見し、和賀会長に託した。

 明治維新後、盛岡藩主は減封、白石に転封となり、多くの御家人は身分を失った。廃藩置県後の戸籍編成で、城戸さんの先祖は1872(明治5)年に士族から平民となった。

 復禄請願書と族籍訂正願は1898(明治31)年のもの。城戸さんの先祖ら黒沢尻の御家人が5人一斉に、旧盛岡藩主の証明書と戸籍の写しを添え県知事を通じ大蔵省に願い出た。「祖先以来士籍(士族)できたが、今こうした境遇となり毎日悔悟、涕泣している」との趣旨がつづられている。

 平民となった後は禄はなく、26年間士族への復禄に向けて運動していたとみられる。和賀会長は「切に願い出ていたところを見ると、随分生活が大変だったのでは」と推察する。

 和賀会長は以前、別の黒沢尻の士族の子孫から同様の史料を預かっており、これで二つ目となる。「明治維新後は全国的にかつての藩士が不満を募らせ、生活も窮乏していた。それを証明する貴重な資料」と語る。

 一方、本通りの地図は江戸末期に着手し、約30年がかりで1872年に完成したもの。これまでの北上市史にも各住宅(屋敷)住人の名前は掲載されているが、今回発見された地図にはこれらのほか、住宅裏の畑の持ち主も明確に記されている。

 和賀会長は「これで誰の土地を借り受けていたか、当時の土地持ちが分かる。これまでになかった、本当に貴重な史料が出てきた」と発見の意義を強調する。

 北上市は2021年に3市町村合併、現市制から30周年を迎えるに当たり、新しい市史編纂(へんさん)作業に着手している。和賀会長も編纂委員を務めており、今回発見された史料を「市史編纂に役立てていきたい」と話している。