ホーム 県内外 一関・両磐 胆江 北上 花巻 動画ニュース
2016年12月
« 11月  
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
コラム 記者ワープロ

長崎留学時代に焦点 高野長英記念館で企画展

(11/16)
長崎留学時代に焦点を当てた高野長英記念館の企画展

長崎留学時代に焦点を当てた高野長英記念館の企画展

 奥州市水沢区中上野町の高野長英記念館(及川文男館長)は、秋の企画展「長英と長崎」を開いている。長崎留学時代に焦点を当て、手紙や論文、門人仲間の日記など関連資料14点を紹介。蘭学者・長英が形成された当時の様子を伝えている。20日まで。

 鎖国の時代、海外との唯一の窓口だった長崎にオランダ人医師シーボルトが鳴滝塾を開設。長英も西洋医学や蘭学の教えを求めて22歳で留学。他の門人と共にシーボルトの日本研究を助ける助手として食住を保証され、勉学に励んだ。

 展示資料のうち、養父玄斎に宛てた手紙は、長崎留学のため自分がした借金の支払いや、入門3カ月後に半年の予定だった留学の延期を懇願するといった内容の3通が目を引く。

 シーボルトは、研究資料の収集を目的に門人に論文の課題を与え、長英は「鯨魚及び捕鯨に就きて」の論文でドクトルの称号を得た。提出した論文数は、「文章と会話(通訳)は岡、読解(翻訳)は長英」と言われ、シーボルトの弟子で長英と双璧だった岡研介の7点に対し、長英ははっきりしているだけで11点あり断トツだった。その一部を紹介している。

 日記は、長英より1年遅れで留学した米沢出身の伊東救庵が書き残した。中でも、小さな手帳のような「嵜陽(長崎)日簿」は、その日に行った場所や出来事などを記述し、優秀な門人に限られた出島への出入りの様子などが分かり、当時の出島の状況を研究する上で貴重な資料とされる。

 長英は留学中、平戸藩(平戸市)松浦候所蔵の蘭書20巻を1年で翻訳したが、その平戸藩に眼科医山田大圓(淵)が松原見朴と名を変えて招かれた経過を詳しく記した書状も同市から借用して展示している。

 及川館長は「蘭学者としての長英が確立された長崎時代。当時、長英が何を思い、どういう目的で勉強に励んでいたかをこれらの資料から読み取ってほしい」と話している。

 期間中の開館時間は午前9時~午後4時30分。