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コラム 記者ワープロ

新平以前後藤家ひもとく 水沢・記念館 生誕160年企画展

(5/11)

後藤新平記念館で開催中の企画展「古文書に見る後藤家の歴史」

 奥州市水沢区大手町の後藤新平記念館(佐藤彰博館長)は、後藤新平生誕160年記念企画展「古文書に見る後藤家の歴史」を14日まで開いている。家系図や知行高明細書など、主に後藤家資料を用いて新平以前の後藤家をルーツまでさかのぼり紹介している。

 新平の業績に関わる資料の大半は東京市政調査会の後藤新平伝記編纂(へんさん)会が保有、同館で保管する。今回は後藤家に伝わる先祖関係の資料を中心に20点ほどを公開した。

 同市の後藤家は、高野長英を輩出した本家と新平の先祖の分家があり、ルーツは「藤」の付く姓の大半が先祖とする藤原鎌足にたどり着く。展示した家系図によると、前九年・後三年の役で戦功を立てた則村が肥後守(ひごのかみ)兼内舎人(うどねり)という役職に任命されて「後藤内」と称し後藤姓を名乗った。

 伊達家臣となった子孫は伊達政景が留守家の養子になった際に一緒に移り、戦功によって父から領地を分け与えられた實喜が新平につながる庶流・後藤家の祖となった。

 2代目實忠が43歳の時の禄高を記した「後藤家御知行高明細書」は、年代が分かる資料では後藤家最古とされる。城勤めをした新平の祖父實仁、父實崇の代の家計は豊かでなく、寺子屋を開いて子供たちに学問を教え、コメや芋を月謝代わりにもらっていたという。

 飢饉(ききん)の際に庶民の窮乏を救うためソバとバレイショの栽培を勧めた高野長英著「二物考」は、モリソン号事件で幕府を批判した長英が弾圧される前の1836(天保7)年に出版された貴重なもので、後藤家が良好な状態で保存していた。

 父實崇は鼓や舞をたしなむ風流人で、武家の正式礼法とされる小笠原流の礼法を学び、留守家婚礼の際は指南役を務めた。厚い和紙で折った年中行事の飾りや物を包む際に用いる小笠原流折形50点ほどが残され、チョウやアワビなど一部を展示している。

 同館の中村淑子学芸調査員は「藤原鎌足からの流れと、生活は貧しくとも礼節を重んじた祖父や父の武士の誇り、清廉な心が新平にも受け継がれていることを感じてもらえたら」と話している。