北上・西和賀

縄文土器 多様に発達 市内遺跡の調査成果報告【北上】

土器や陶磁器の歴史について語る金子さん

 2017年度発掘調査報告会・講演会は6日、北上市本石町の日本現代詩歌文学館で開かれた。市内の遺跡調査成果や土器などの歴史が語られ、参加者は歴史ロマンに触れた。

 市立埋蔵文化財センター主任の君島武史さんが梨子山遺跡(上野町)、葛西壇遺跡(相去町)の調査結果を報告し、県立博物館主任専門学芸員の金子昭彦さんが「土器の歴史と縄文土器の流儀」と題して講演。考古学ファンや市民約70人が聴講した。

 君島さんは葛西壇遺跡から須恵器窯や土師(はじ)器が出土したことに触れ、相去地区一帯が平安時代に須恵器の一大生産地だったと説明。「9世紀半ばごろから未開拓の土地で、非常に良質な粘土が採れる上に森林資源が豊富で水場もあった。かつ、職人が多くいたからだろう」と解説した。

 続いて金子さんは「縄文時代でも草創期など古い時期の土器のほとんどは深鉢の鍋だったが、時期がたつと浅い碗(わん)やつぼなど多様な土器が出てきた」と指摘。「大陸の影響を受けず、多種多様に発達した」と縄文土器の独自性を強調し、「東北地方では弥生時代になっても縄文のついた土器が多かった」と付け加えた。

 さらに「須恵器や陶器は中国から伝わったが、須恵器は平安時代で役割を終え、陶磁器が庶民に普及したのは江戸時代の後半になってから。平安時代からは鉄製品が普及し、国産磁器が誕生したのは豊臣秀吉が朝鮮出兵後に工人を日本に連れてきてからだ」と説明した。

 参加者は興味津々に聞き入り、積極的に質問していた。

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