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小林陵 初のW杯4連勝 葛西抜くシーズン最多7勝 ジャンプ男子

優勝し、喜ぶ小林陵侑=4日、オーストリア・インスブルック(AFP時事)

 【インスブルック(オーストリア)時事】ノルディックスキーのワールドカップ(W杯)ジャンプ男子は4日、オーストリアのインスブルックで伝統のジャンプ週間第3戦を兼ねた個人第10戦(HS130メートル、K点120メートル)が行われ、小林陵侑(盛岡中央高-土屋ホーム)が日本男子で初めてとなるW杯4連勝を果たした。今季、通算ともに7勝目で、葛西紀明(同)を抜いて日本男子のシーズン最多勝利記録を更新した。

 小林陵はジャンプ週間3連勝とし、1997~98年の船木和喜以来、日本勢2人目の総合優勝に迫った。

 小林陵は1回目に136・5メートル、2回目に131メートルを飛び、合計267・0点だった。佐藤幸椰は6位、伊東大貴(以上雪印メグミルク)は15位、小林潤志郎(盛岡中央高-東海大-雪印メグミルク)は26位。中村直幹(東海大)は31位、46歳の葛西は32位でともに2回目に進めなかった。

誰も止められない強さ

 もう誰も止められない。小林陵が2回ともヒルサイズを上回る大ジャンプをそろえ、日本男子初のW杯4連勝を果たした。

 会場を埋めた本場欧州の大観衆を沸かせ、冷静な表情を崩すことなく言った。「たくさんの人が応援してくれる中でいいジャンプができた」。平昌五輪では低迷した日の丸飛行隊の新エースが、ジャンプ週間4戦全勝の偉業に王手をかけた。

 このジャンプ台には「魔物」がいる。会場がすり鉢の形状で風の方向がめまぐるしく変化。所属する土屋ホームで監督を務める葛西は「さすがの陵侑でも、ここが一番難しい」とみていた。そんなヤマ場を見事に乗り越えた。

 1回目は飛距離が出やすい強めの向かい風に乗り、ヒルサイズを大きく上回る136・5メートル。テレマーク姿勢もきっちり決めてトップに立ち、頭一つ抜け出した。風が弱まった2回目も131メートルの大ジャンプ。勝利が決まった瞬間、兄の潤志郎らに囲まれて笑顔がはじけた。

 ジャンプ週間は1952~53年シーズンに始まり、W杯より30年近く長い歴史を持つ。過去66大会のうち4戦全勝の「完全優勝」を遂げたのはスベン・ハンナバルト(ドイツ)、カミル・ストッフ(ポーランド)の2人だけ。同じオーストリアのビショフスホーフェンでの最終戦に向けて言った。「自分のジャンプを心掛けて、総合優勝できたらうれしい」。22歳の若武者が、アジア勢初の快挙に挑む。

自身も驚く快進撃 無欲貫き最終戦へ
▲2回目のジャンプを終え、笑顔を見せる優勝した小林陵侑=4日、オーストリア・インスブルック(EPA時事)

 【インスブルック(オーストリア)時事】ノルディックスキーのワールドカップ(W杯)ジャンプ男子で、小林陵侑(土屋ホーム)が伝統のジャンプ週間第3戦を兼ねた4日の個人第10戦で優勝し、今季7勝目を挙げた。昨季までW杯6位が最高だった22歳。日本男子初のW杯4連勝を果たした自身の快進撃を「驚いている」と率直に明かす。

 盛岡中央高までは複合選手でもあったが、高校時代に葛西紀明(土屋ホーム)にスカウトされ、ジャンプ一本に絞った。今は兄の小林潤志郎(雪印メグミルク)とともにW杯を転戦。2人とも忘れ物が多く周囲を慌てさせることもしばしばだが、何事にも動じない弟を兄は「日本人らしくない性格」と少しうらやましそうに見ている。

 今季はジャンプの生命線とも言える助走姿勢が極めて安定。社会人になってすぐに伝授された「企業秘密」(葛西)の呼吸法に加え、開幕前に受けたメンタルトレーニングの成果で緊張する場面でも力を発揮できている。

 ジャンプ週間第3戦までを制したのは史上11人目で、過去に総合優勝を逃したのは1971~72年に札幌五輪の国内選考会のため最終第4戦を欠場した笠谷幸生だけ。「取れたらうれしいけど、それほど気にしていない」と小林陵。無欲を貫き、97~98年の船木和喜(フィット)以来、日本選手2人目の快挙に挑む。

 日本男子のシーズン別 W杯優勝数

①小林陵侑 7勝 18~19年

②葛西紀明 6勝 98~99年

③船木和喜 5勝 97~98年

 原田雅彦     同

⑤伊東大貴 4勝 11~12年

 船木和喜    96~97年

 原田雅彦    95~96年

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