奥州・金ケ崎

後藤新平のデスマスク 所在と来歴突き止める 金子展也さん(さいたま市)【奥州】

台北市の寺院に収められていた後藤新平のデスマスク。金子さんがその来歴を明らかにした(金子さん提供)

 さいたま市の金子展也さん(68)は、台湾総督府民政長官や東京市長などを務めた奥州市水沢出身の政治家後藤新平(1857~1929年)のデスマスクの所在と来歴を突き止めた。日本の統治時代に開かれた台湾の仏教寺院に安置されていた。これまでマスクの存在は知られていたが詳細の裏付けがなく、調査は後藤が台湾に残した足跡を改めて浮き彫りにした。

 金子さんは日台の友好を推進する台湾協会の評議員を務めている。仕事で台湾に駐在した経験もあり、当時から日本統治時代の神社やその跡地に引かれ、調査をまとめた著作もある。

 マスクに出合ったのは2006年。台北市の鎮南山臨済護国禅寺を訪れた際、金子さんを日本人と知った寺の事務員がマスクを紹介した。マスクを納めた厨子には、史実通り京都府立病院で後藤が没したこと、後藤とつながりの強い台湾の実業家で政治家の辜顕栄(こけんえい)が納めたことなどが書かれていた。

 興味をかきたてられた金子さんは、13年にも再訪。後藤の資料がある東京の図書館や奥州市立後藤新平記念館なども訪ね、調査を進めた。

 マスクの来歴を確信する根拠になったのは、当時やその後の新聞記事。後藤が逝去して間もない1929年4月の全国紙には、デスマスクが作られたことが写真と共に紹介されていた。

 同記念館が所蔵する新聞のスクラップ帳には、翌30年4月12日付の台湾日日新報に同寺で行われた後藤の回忌法要の記事が保存されていた。辜が日本から持ち込んだマスクを納めたことが書かれており、矛盾なく一連の情報がつながった。

 奉納の経緯について金子さんは、「臨済護国禅寺が所属する臨済宗妙心寺派には後藤の生家の檀家寺も属するため。台湾総督府にかなり入り込んでいた宗派だった」と推測。「記念館でも知らない物を自分が見てきたわけがないと思ったこともあったが、当時の台湾の新聞を見つけた際は感動した」と振り返る。調査の歩みは台湾協会の会報に掲載したという。

 同記念館の佐々木菖子学芸調査員によると、マスクは後藤の特徴的なひげをたくわえている。当時は相当高齢の70代で、死につながった3度目の脳溢血(いっけつ)による入院のためか頬がこけている。青年期から眼鏡をかけていたため素顔がうかがえるのは珍しく、意外に面長な印象もあるという。

 マスクはほかに二つ作られたという情報もあり、佐々木学芸調査員は「現存する場所を把握できただけでも意義あること。調査の成果が広まることで新たな情報が集まってくれれば」と期待している。

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