一関・平泉

没後830年 悲運の英雄弔う 平泉で義経公追善法要

源義経の木造が安置された義経堂前で毛越寺一山の僧侶により営まれた追善法要

 平泉町の高館義経堂で2日、源義経公追善法要が営まれた。平氏滅亡の功労者から一転して兄頼朝に追われる身となり悲運の死を遂げたとされる地で、没後830年の節目に義経や武蔵坊弁慶ら主従の冥福を祈った。

 町や町議会の代表、一般参拝客、大型連休を利用し同町を訪れた観光客ら30人余りが参列。義経堂を飛び地境内とする毛越寺(藤里明久貫主)一山の僧侶6人が読経を行い、供養のため義経堂を周りながら散華(さんげ)した。

 法要では4月27日に町内で開かれた平泉のかをりワークショップで再現された平安時代の薫物(たきもの)「荷葉」を奉納。講師を務めた奈良女子大甘葛煎(あまづらせん)再現プロジェクトの前川佳代表が義経像の前に香炉を納めると、周囲は優雅な香りに包まれた。

 佐賀県唐津市から観光で訪れた濱隆朗さん(56)は「国語の教師として松尾芭蕉がこの地で詠んだ句を教えてきたので、一度は訪れてみたいと思っていた。義経の法要があるのは知らなかったが、参列できていい思い出になった」と語り、静かに手を合わせていた。

 義経は、頼朝の圧力に耐えかねた奥州藤原氏4代泰衡の急襲に遭い、1189年の閏(うるう)4月30日に居館のあった高館で妻子と共に自害したとされ、義経堂は1683年に仙台藩主4代伊達綱村が建立。堂内には義経の木像が安置されている。

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