奥州・金ケ崎

水沢筆 半世紀ぶり復活 女性2人が伝統継承 文秀堂 20日に販売開始【奥州】

文秀堂が水沢筆の生産を再開。生産に当たる髙橋さん(右)と「比賢立生」、村上さんと「銘光」

 奥州市水沢久田の文秀堂(髙橋竜太郎社長)は、およそ50年ぶりに「水沢筆」の生産を再開した。2人の女性が、委託生産などで取り引きのある広島県呉市の製筆業者の指導を受けながら生産に当たる。水沢筆は普段使いの筆として市民に重宝された。当面は初心者や学校の書道に向く太筆「比賢立生(りゅうせい)」と小筆「銘光」の2品を生産。20日には販売開始する予定で、伝統工芸の一つとして後世に残したいと髙橋社長(60)は願っている。

 同社は文化14(1817)年、留守家家臣の熊田家、岩城家家臣の髙橋家が内職として製筆を始めたのが創業とされる。熊田文秀堂、髙橋銘光堂の銘で筆を作っていたが、1923年に経営統合。50年の法人化で「髙橋文秀堂」、69年の株式会社化で「文秀堂」となった。

 同市水沢、江刺岩谷堂の製筆は、明治に最盛期を迎え70軒あったといい、水沢筆は普段使いの筆として市民に愛用されいてたという。時代の変化に伴い、市内で筆を生産していたのは同社のみとなっていたが、同社も髙橋社長が小学生の頃に生産をやめ、呉市の文志堂に生産を委託している。

 筆部門の廃業を覚悟していたという中、最近になって「仙台藩の筆を使いませんか」と営業したところ中尊寺(平泉町)、瑞巌寺(宮城県松島町)から受注があり髙橋社長は継続を決意。それに合わせて「祖業である製筆の歴史、そして時代に合わせて事業を変化させる大切さを若い世代に伝えたい」と、筆の生産再開を決めた。

 次の世代の人材として、髙橋社長の長男で常務の健太郎さん(35)と麻里子さん(34)夫妻、村上花惠さん(29)が筆生産の研修を受けた。

 作業は、穂先を軸に入れ接着し余分な毛をさばいて仕上げる。「穂先を1本1本測りながらそろえるため時間がかかる」といい、月1回の筆作りに集中する考えだ。3カ月に1回は文志堂の職人が来社し、指導、補助、検品を受ける。検品で製品として認められた物だけを販売する。

 翻訳業が本業の髙橋麻里子さんは「ものづくりの素晴らしさを感じている。緊張感を保ちつつやっていけたら良い。来年小学校に入学する長男が私が作った筆を使って書道をするのが楽しみ」、村上さんは「大学で文化財について学んだこともあって筆作りも興味はあった。昔からの伝統的なものづくりに携われることをうれしく思っている」と話している。

 筆名の比賢立生は、二つの地域にあった郷学、岩谷堂の比賢館と水沢の立生館にちなむ。また銘光は髙橋銘光堂の名からだが、「美しい銘文を宝石の光のように美しく記す」という意味。

 20日からの販売は、同社吉小路店、6月1日からはZプラザアテルイ、えさし夢プラザでの販売が決まっているが、市内の児童生徒が購入しやすいような場所に販売所を増やす考えだ。

 価格は比賢立生が864円、銘光が432円。大学生以下の場合は学割価格で780円と380円となる。

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