一関・平泉

高輪ゲートウェイ、一関と縁 山手線であす開業 付近の史跡 田村氏が築造

国指定史跡の「高輪大木戸跡」。2代藩主誠顕の築造で、今では江戸の大木戸の姿を伝える唯一の遺構だ(一関市博物館提供)

 JR東日本が14日に山手線、京浜東北線の田町―品川間に開業する新駅「高輪ゲートウェイ」の近くに、一関藩と深い関わりがある国指定史跡がある。駅名の選定理由の一つにもなった史跡で、一関市博物館では東京に出掛けた際には新名所の近くにある一関ゆかりのスポットに立ち寄ってほしいとしている。

 高輪ゲートウェイの名称は、現地が古来より街道が通じ、江戸の玄関口としてにぎわいを見せたという歴史的背景がある中、新駅が過去と未来、日本と世界、そして多くの人々をつなぐ結節点として、まち全体の発展につながることを願って選定された。

 新駅の近くにある国指定史跡は「高輪大木戸跡」。同館によると、江戸の南の玄関口に当たる現地に設けられた関門で、幕府の命を受け、2代一関藩主田村誠顕(のぶあき)が1710(宝永7)年に工事を担当した。田村家文書「御家御年代記」には同年2月に命ぜられ、同4月に本格着工、同8月1日に完成したことが記されている。

 街道の両側に築かれた石垣の間に木戸を設け、夜は閉鎖するなど交通を規制して治安維持の役割を果たしてきたが、江戸時代後期には木戸の設備は廃止され、明治の初めに西側の土塁が取り払われた。現在は海岸側に幅5・4メートル、長さ7・3メートル、高さ3・6メートルの石垣のみが残されている。

 江戸には甲州街道の出入り口として四谷大木戸もあったが、既に取り払われている。同館の相馬美貴子副館長は「今では江戸の大木戸の姿を伝える唯一の遺構。史跡に立ち寄った時には当時に思いをはせてもらいたい」と語っている。

 高輪大木戸跡は、国道15号(第一京浜)の東側で都営浅草線泉岳寺駅前の東京都港区高輪2丁目にある。

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