奥州・金ケ崎

125年前に軍隊検疫を指揮 後藤新平の功績紹介 記念館で特別展【奥州】

後藤新平記念館で開かれている特別展「日清戦争帰還兵検疫事業」

 奥州市水沢大手町の後藤新平記念館(佐藤彰博館長)は、後藤新平が125年前に行った検疫事業に関係する資料を集め、特別展「日清戦争帰還兵検疫事業」を開いている。臨時陸軍検疫部事務官長として前例のない軍隊検疫を成し遂げた後藤の功績を写真や資料で紹介。同記念館では「資料からは後藤のスピード感あふれる対応ぶりと統率力が成功につながった様子がうかがえる」と語っている。4月19日まで。

 当時の野戦衛生長官、石黒忠悳は経験上戦役では傷者よりも病者の方が多いとし、日清戦争からの凱旋(がいせん)兵に検疫をすべきと建議した。ただ世界的にも前例のない事業であることから独創力、統率力、組織力、精力、胆略が必要と考えられていたという。1895年3月に陸軍大臣代理の児玉源太郎を部長とする臨時陸軍検疫部が発足。後藤は部長の下で事務官長となった。

 検疫事業に当たって、瀬戸内海に浮かぶ似島、彦島、桜島の3島で1日1万人以上を行える検疫態勢を整備。工事は3カ月を期限としていたが、その間に海の埋め立て、樹木の切り払い、地ならし、施設を建設、電信、電話、電灯の設備をするとともに、大蒸気消毒汽缶を製造、設置する計画だった。

 計画は困難を極めることが予想されたが、さらに途中で期限を1カ月前倒しする決定があった。後藤は周囲の懸念に「やろうと思うてかかればできぬことがあるものか」とし、実現に当たらせたとされる。

 大消毒缶は前例のない物だったが、試験には後藤の親友北里柴三郎が当たり、成果を上げた。消毒缶については、写真や図面が展示されている。このほか、規則や心得、作業順序一覧など、検疫に当たる人々に向けた書類も速やかに整えて、事業開始に備えた様子も見て取れる資料もある。

 同館では「検疫というキーワードが大きな話題となる中、改めて資料をひもといたところ後藤のスピード感ある対応と統率力が感じられる資料がそろった」と来場を呼び掛けている。

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