奥州・金ケ崎

後藤支えた姉、弟 記念館企画展 関連資料で解説【奥州】

姉と弟に焦点を当てた後藤新平記念館の企画展「黒衣に徹した姉と弟」

 奥州市立後藤新平記念館の冬の企画展「黒衣(くろご)に徹した姉と弟」は、15日から同市水沢大手町の同記念館で開かれている。今回は後藤の姉初勢と弟彦七を関連する資料で解説。普段は表舞台に立たないきょうだいに焦点を当て、後藤とのエピソードを中心に人物像を紹介している。

 姉は生年不明だが、没年(1925年3月19日)と享年80が示されており、後藤よりも11歳年上と見られている。一方、弟は1865年生まれで8歳違い。

 姉は藩校「立生館」で教授を務めていた椎名辨七郎に嫁ぎ、25歳頃に北海道に渡った。苦労して故郷に戻った後は、籍を椎名家に置いたまま後藤家に帰ったという。1883年、父実崇の死去に伴い母利恵とともに東京へ移住し、後藤とともに暮らす。子供がいなかったことから椎名悦三郎を養子としている。

 後藤は弟が勉学に励むよう気に掛けていたという。後藤のドイツ留学中は、姉ととともに和子夫人の実家安場家(福岡)へ赴き、水沢に帰りたがった母を説得。後藤が相馬事件で入獄した際には後藤の借財の整理にも当たった。達筆でもあり、後藤のあいさつ原稿の浄書もした。

 同記念館の佐々木菖子学芸調査員は「後藤の活躍を表に出ずに支えた姉と弟も魅力的な人物だった。初勢は強い精神力を持った人で誠実で善良な性格で多くの人を魅了していたことが各種の資料からうかがえる」という。

 初勢について椎名悦三郎は「後藤新平追想録」で「仕事の合間をみては新聞や雑誌をよく読む人だった。そして新聞などに出ている叔父(新平)の言動をとらえては、批判したりからかったりする」とし、「威厳のあった叔父も、これには辟易(へきえき)したらしい」と記している。

 今回の企画展では、3人のきょうだいをはじめとする家族写真=1907年4月21日撮影=や肖像写真、手紙、あいさつ文など9点を集めている。佐々木学芸調査員は「後藤の活躍を支えた2人について知ってもらいたい」としている。

 期間は3月14日までで、今月16日午後1時30分からは学芸調査員による解説会が予定されている。問い合わせは、同記念館=0197(25)7870=へ。

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