奥州・金ケ崎

渋沢との交流焦点 米寿祝うスピーチ原稿も 後藤記念館展示・シリーズ人脈考【奥州】

書簡や写真などを紹介しているシリーズ後藤新平人脈考(6)「渋沢栄一」

 奥州市水沢大手町の後藤新平記念館(佐藤彰博館長)は、シリーズ後藤新平人脈考(6)「渋沢栄一」を同館で開いている。近代産業の育成に尽くした渋沢と後藤との交わりに関する書簡やパンフレット、写真などの資料を展示している。3月13日まで。

 渋沢は1840(天保11)年2月に武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市)の農家に生まれた。15代将軍となる一橋慶喜に仕え、兵員募集や産業振興に尽力した。

 江戸時代末期には慶喜の弟昭武に同行して1867(慶応3)年のパリ万博に参加し、各国の産業、インフラ、金融などの発達に刺激を受け、江戸幕府崩壊後に帰国した。

 明治新政府で大蔵省入り。銀行業、会社制度を準備するうちに退官し、実業界に転じ、第一国立銀行を活動の中心としつつ、日本近代産業の育成に関わった。関係した会社は500に及ぶという。

 後藤が渋沢と交わったのは台湾総督府民政長官時代で、渋沢は台湾銀行創立委員として名を連ねている。後藤の東京市長就任に大きく働いたのも渋沢だった。

 今回の人脈考では書簡や写真、1922(大正11)年3~7月の平和記念東京博覧会のパンフレットなど、2人の交流を示す6点の資料を公開した。1928(昭和3)年8月の渋沢の米寿祝いで、後藤がスピーチした時の手書き原稿なども読み下し文付きで示している。

 佐藤館長は「2人の共通点は『みんなのため』に動いたこと。後藤が東京市長を引き受けたのも政治家から要請されたよりも、東京市長に適任として渋沢が動いたことが大きかったのではないか」と語る。

 シリーズ後藤新平人脈考は、後藤と関わりのある人々を所蔵資料で紹介。2019年以来、東京市長時代の後藤を支えた3人の助役らを取り上げている。

 開館時間は午前9時~午後4時30分。問い合わせは同館=0197(25)7870=へ。

地域の記事をもっと読む

奥州・金ケ崎
2024年4月20日付
奥州・金ケ崎
2024年4月20日付
奥州・金ケ崎
2024年4月20日付
奥州・金ケ崎
2024年4月20日付