大船渡線と私 開業100周年プレ企画
「汽車きたどー」。祖母のそんな声で慌てて家を飛び出したことが何度あったろう。私が高校時代までを過ごした生家の2階からは陸中松川駅のプラットホームが見えた。通学の汽車がホームに差し掛かってから家を出ても、間に合うような近さだった。
いわゆる「汽車通」の高校生の多くが、陸中松川発午前7時前のこの汽車を利用していた。乗客の多くは高校生だった。私は同じ高校に通う友人たちと4人がけのボックス席に座ることが多かった。4人で膝の上の学生かばんで簡易の机をつくり、一応、勉強のようなことをした。テストの時は、一夜漬けならぬ浅漬けのこともあった。30分の乗車が1時間にも匹敵する貴重な時間だった。
「きしゃ」この響きがたまらなく好きだ。手動開閉のドアも懐かしい。私の生活の一部になり、3年間の高校生活を支えてくれた大船渡線。100年の間にどれだけ多くの人々を運んでくれただろう。
(滋賀県東近江市・髙田泰子さん)
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企画/一関市観光協会、岩手日日新聞社