大船渡線と私 開業100周年プレ企画
明治生まれの私の祖父は、大船渡線の建設に作業員として携わりました。開業してからは、陸中松川駅から一ノ関駅まで用事があって出掛けると、そのたびに大福屋の餅と団子を楽しみにしていて、よく土産としても買ってきました。私も幼い頃、デパートの食堂などに連れられて行きましたが、その時に汽車に乗るあのワクワク感がとても懐かしく思い出されます。デパートや商店が建ち並び、幼心に鉄道を通して都会を感じたものでした。
東山には石灰鉱山があり、松川駅は国鉄時代の一時期、東北1、2を争う貨物輸送量の駅でした。構内には10本近い線路が敷かれ、たくさんの貨車がいつも入れ替え作業をしていました。そのうちの一つが、東北石灰工場から作業員がトロッコを押して石灰を運んだ宮沢賢治の「デクノボーの道」です。
高校生になって、通学で一ノ関駅まで利用しましたが、松川駅ではホームに乗客があふれ、5、6両の客車は通勤、通学、行商などの人でほぼ満席となっていて、立って乗ることがしばしばでした。朝はゴトンゴトンと響く音が眠気を誘い、帰りは疲れて寝過ごし、次の駅からトボトボと帰ったことも2、3度。何とも懐かしい、生活の中にある大船渡線です。
(一関市東山町・細川慎一さん)