鳥帰る天のほころび縫ふやうに 祈りのうた いわての震災詠 東日本大震災から14年
陸前高田市 千葉常子さん 75歳
【句意】震災から4、5年がたった頃。天と地を逆さまにし、災禍の跡をほころびと表現。北へ帰る鳥の無事を祈りながら、まちの再生に希望を込めている。
「もしもし、あんだ、おれだ」
「チヱさん?」
「んだ」
「できた? じゃあ言って」
千葉常子さんの電話の相手は、陸前高田の松風俳句会で最年長だった熊谷チヱさん。震災後、娘を頼って愛知県に移り住んだが、句ができると連絡があった。「ちょっとあれだなぁ」。常子さんが表現を気にすると、「あんだ直してけろ」と頼まれた。二人三脚で続けた地元新聞への投句。月1回の“便り”がチヱさんと郷里をつないだ。
ふたたびは歩むことなき春渚 チヱ
百歳の句友は小春をいとほしき 常子
津波さえなかったら、と望郷の念を詠み続けたチヱさんは今年1月に亡くなった。常子さんは「やっぱり寂しい」と声を落とす。
常子さんにとって、俳句を語る上でもう一人欠かせない句友(とも)がいる。松風俳句会で指導者的な存在だった鈴木和子さん。和子さんは津波で夫を亡くし、家も失った。言葉少なに語られた苛烈な体験を常子さんは句に残している。
この坂は夫との別れ西日射す 常子
和子さんは北上市の息子の元に身を寄せ、たびたび陸前高田を訪れた。常子さんは「この人の言葉には説得力がある」と考え、創作を後押し。和子さんが来るつど復興状況を案内して回った。2年前に92歳で他界した和子さんの句集「冬椿」には、震災後のまちの情景を詠んだ句が収められた。
本籍は嵩上げの下海霧深し 和子
震災から14年が経過する。壊滅的な被害を受けたまちはかさ上げされた土地に生まれ変わったが、常子さんは「今も在りし日のまちの様子が目に浮かぶ」と話す。復興を見届けるその日まで―。俳句の楽しさを教えてくれた句友への思いを乗せ、これからも十七音の言葉を紡ぐ。