命を大切にして生きることが供養に 吉祥寺(大槌町吉里吉里)髙橋英悟住職 祈りのうた いわての震災詠
泣いたのは何年ぶりだったか。合同葬儀の日、168人の戒名を読みながら皆さんの顔が浮かび、こみ上げる思いを抑えられなかった。
東日本大震災が起きたのは、吉祥寺の住職になって10年余りたった頃。地域の方に和尚さんと呼んでもらえるようになり、いい所に来たと感じていた。
あの日、海の異変に気付いて坂道を駆け下りた。寺のすぐ下にある小学校が心配だった。津波が迫る中、子どもたちを寺に誘導しながら、周囲の住民に避難を呼び掛けた。
家を流された住民たちが高台に避難しており、寺も避難所として開放した。避難所を運営しながら、遺体安置所を回って読経を上げる日々を送った。
葬儀をどうするかも課題だった。全員を火葬するめどがつき、4月29日に合同葬儀を行うことにしたが、行方不明者を含めることに異論があった。
さようならも言えなかった突然の別れ。「生きていてほしい」という望みを捨て切れない人、遺体が見つからないのは自分のせいと責める人もいた。遺族の感情、置かれた状況はさまざま。簡単には事が進まなかったが、戒名は死後に付けるとは限らない。生前戒名には、お釈迦(しゃか)様と縁を結ぶという意味合いもある。
葬儀までの間、できるだけ関係者に話を聞かせてもらった。人柄や好きだったこと。一度に168人分を考えることはあり得なかったが、お一人お一人、心を込めて付けた。
津波という地獄を目の当たりにし、多くの死者と向き合ったことで、私自身は仏の世界を信じる気持ちが強くなっていた。葬儀では、死者を仏の世界に送れると安堵(あんど)したと同時に、生き残った人たちを守っていくのだという覚悟が芽生えた。遺族には少しでも前に進んでほしいという思いで、「いつか必ず亡くなった人と会える日が来る。それまでお互いの世界で頑張ろう」と話した。
吉祥寺の開山400年の歴史を振り返ると、津波や火災、戦争など幾多の困難があった。ご先祖さまがつないできた命が再び津波で奪われることがあってはならない。そう考え、2021年から地域の小学生を対象に「寺子屋」を開設している。
命を守る合言葉に「津波てんでんこ」がある。人を助けに行くのではなく、おのおのが素早く避難せよというものだ。寺子屋では安全な高台に来て人を助けようと教えた。そして、住民に避難を知らせるため、寺の鐘を突く練習を行った。
その想定は、2022年1月のトンガ海底火山噴火で生かされた。朝3時すぎ、小学4年生の男の子が寺の鐘を鳴らしてくれた。それを聞いた数組の家族が避難し、津波の恐れがなくなるまで待機した。子どもが迷いなく起こした行動に、勇気づけられた。
3月11日の震災犠牲者の法要に、今年は寺子屋に参加する吉里吉里学園小学部6年生の発表を盛り込む。震災の教訓を次の世代へ手渡すことが、あの震災で生き残った者の役割だと信じている。