800年前に思いはせ 山田中尊寺貫首と藤里毛越寺貫主 秀衡街道を行脚【北上】
平泉町の山田俊和中尊寺貫首(74)と藤里明久毛越寺貫主(67)は23日、北上市内を通る秀衡街道を行脚した。800年以上の時を超え、当時に思いをはせながら、平泉の黄金文化を支えたとされる古道をたどった。
郷土史家らによると、秀衡街道は平安時代末期に東北地方を治めていた奥州藤原氏3代秀衡と黄金文化にちなんで名付けられた古道。北上市和賀町山口から西和賀町を通り、横手市山内に至る数十キロとされ、秀衡街道を介して平泉までつながっていたとされる。
同日は山田貫首、藤里貫主、中尊寺管財部の三浦章興執事と地元住民ら計25人が参加。和賀町岩沢の多聞院伊澤家住宅脇の久那斗(くなと)神社を出発し、途中車での移動を挟みながら、仙人権現(同神社奥宮)を目指した。
山道となる和賀町仙人の仙人峠入口から本格的に行脚をスタート。曇り空で時折心地よい風が吹く中、一行は一歩一歩踏みしめながら、細く傾斜が急な坂道を上った。
所々の休憩では、元秀衡街道研究会代表の菊池國雄和賀町史談会長らが街道にまつわる歴史や木々、草花などの自然について説明。道端で祭られている不動様の前では、山田貫首と藤里貫主、三浦執事が般若心経を唱え、道中の安全と人々の安寧を願った。
山田貫首は「さまざまな物資が運ばれていたいにしえの街道を実際に歩いてみて、当時の人たちの苦労が身に染みる」と実感。藤里貫主は「険しい道を介して物が行き交い、それが平泉までつながっていたと思うと非常に感慨深い」と語った。
その後、一行は下山。西和賀町入りした山田貫首や藤里貫主らは、町内のガイドらと一緒に鷲之巣金山跡などを回った。24日は横手分の秀衡街道を行脚する予定。
秀衡街道の行脚は、山田貫首の強い思いで実現。秀衡の命日に合わせ、死去から830年となる2017年の10月に一度企画されたが、悪天候で中止となっため、今回の実施となった。