2025年7月19日
日本で女性国会議員が生まれたのは1946年の第22回衆院選だった。39人の当選者の一人が一関市大東町出身の菅原エンさん。女性に参政権が認められた初の選挙に出馬し全県1区の戦いでトップ当選した。議員生活は1年だったが、食糧難の克服などに尽力した
▼大正時代まで選挙権を有するのは一定の財産がある25歳以上の男性に限られていた。戦後の衆院選で20歳以上の男女が投票できるようになり、39人もの女性が当選したのは、新たな制度や女性議員への有権者の期待があったからに違いない
▼女性閣僚の誕生は女性国会議員から14年遅れの60年のこと。第1次池田勇人内閣で中山マサ衆院議員が厚生相として入閣。在任期間は5カ月とやはり短かったが、母子家庭への児童扶養手当支給を実現。中山さんが厚生相に就任した7月19日は「女性大臣の日」となった
▼女性に参政権が認められてから80年の節目となる今参院選には152人が立候補した。46年の衆院選の2倍近いが、候補者に占める割合は3割に届かず、政治参画の壁は依然高い
▼日本の男女平等度は148カ国中118位で、政治分野で改善が遅れているという。そういえば選択的夫婦別姓の議論も随分と前から続いている。先駆者も歯がゆい思いでいるのかもしれない。