磐井川河川敷 黄色い競演 鮮やか 菜の花畑「復活」【一関】
かつて菜の花の名所として知られた一関市の磐井川河川敷に、菜の花畑が「復活」した。江戸時代に一関藩医を務めた建部清庵(1712~82年)の顕彰と地域活性化を目指す市民団体「清庵の里」が、清庵が奨励した「四木一草」の一つで、市の花にもなっている菜の花をより多くの人に知ってもらおうと企画。連なるように見事な花を開かせ、往年の姿で市民を楽しませている。
清庵は、飢饉(ききん)に備えて食用植物の栽培方法や山野草の解毒作用などを記した「民間備荒録」を発行。コメだけでなく庭などに四木一草(カキ、クリ、ナツメ、クワ、菜の花)を植え、飢饉以外の時は換金、年貢の足しにすることで生活を成り立たせるよう奨励したとされる。同団体は、講演会やカフェの開催などを通して清庵の偉業顕彰を目指している。
菜の花はかつて市内中心部の磐井川河川敷に植栽され、春の風物詩として市民に親しまれていた。20年ほど前までは旧一関農業高校の生徒が管理に当たっていたが、その後は手がかからないようになり、堤防改修工事が進んだこともあって姿を消した。清庵の里では市民に菜の花について改めて認識してもらい、清庵の偉業を未来に伝えようと、河川敷で花壇づくりに取り組んでいる。過去2年は一関一高西側の河川敷に種をまいて花を咲かせ、収穫した菜種を活用して食用油「菜の花油」を開発した。
3年目となる今回は、以前に菜の花畑があった上の橋下流の山目側を活用。22年9月に種をまいたところ、雪が少なかったこともあって生育の進みは早く、今年4月に入って次々と花を咲かせた。市の管理地を借り受けた幅1メートル、長さ100メートルほどの畑には高さ1メートル程度にまで育った菜の花が競うように黄色い花を咲かせ、河川敷を散策する市民らを楽しませている。
5月上旬ごろまで花を楽しむことができるとみられ、清庵の里の小野寺伸吾副会長は「菜の花を市民の皆さんにとって身近で愛着のある花として受け入れてもらえるよう、これからも頑張っていきたい」と語っている。