奥州・金ケ崎

歴代城主にスポット 肖像や扁額紹介 水沢・武家住宅資料館企画展【奥州】

歴代水沢城主の紹介と史料を展示している武家住宅資料館の企画展「水沢のとのさま」

 奥州市武家住宅資料館(千田良和館長)の春の企画展「水沢のとのさま」は、同市水沢字吉小路の同館で開かれている。江戸時代の歴代水沢城主に焦点を当て、留守氏をルーツに持つ初代から12代までの経歴や功績を解説しているほか、その時代の出来事に関連する資料も展示。訪れた人たちが水沢を治めた歴代城主に思いをはせている。6月4日まで。

 江戸初期から幕末までの水沢地域を240年間にわたって治めた水沢伊達家は、鎌倉幕府の奥州留守職(るすしき)・伊沢家景を祖とする留守氏の家系。今回の企画展では、初代城主・伊達宗利とその父・伊達政景、12代城主・邦寧まで続く歴代城主と合わせ、現存する史料や史跡を紹介している。

 このうち初代の父・政景(1549~1607年)は、仙台藩初代藩主・政宗の叔父に当たり、伊達家から留守家の養子となり「留守政景」となったが、その後に伊達姓を贈られた。一関城などに赴任したとされる。その長男・宗利(1590~1638年)は一関城主となった後、金ケ崎城に移り、江戸城石垣工事の普請を完成させ、政宗の許しを得て水沢城に移転し、初代城主となった。

 城主のうち、3代宗景ははやり病のため26歳で死亡、5代村景は水沢城の修理や江戸の町火消しにならい火消し組を組織した。10代宗衡は郷校「立生館」を創立し、天保の大飢饉(ききん)で南部領の一揆勢が越境した際には陣頭指揮を執って騒動拡大を未然に防いだ。

 展示されている「留守政景殉死者肖像」(複製)は、初代政景と殉死した家臣が描かれ、全員が畳に座り、家臣のその一人は足を負傷していると思われる描写から君主と家臣の近しい関係が見える。

 久しぶりの展示という郷校「立生館」の扁額は、1836(天保6)年に建てられた時に10代宗衡が揮毫(きごう)した。水沢伊達家の子どものほか、庶民にも門戸を開いて習字やそろばんなどを学んだ。成績が優秀な人は仙台藩校「養賢堂」に遊学させたという。

 同資料館の菅原郁恵学芸調査員は「あまり知られていない水沢城主にスポットを当て、どのような人物だったのかを紹介している。歴代の水沢城主を知るきっかけにしてもらいたい」と話している。

 14日午後1時30分からは学芸調査員による展示説明が行われる。開館時間は午前9時~午後4時30分で月曜休館。入館無料。問い合わせは同館=0197(22)5642=へ。

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