一関・平泉

大船渡線と私 開業100周年プレ企画

大船渡線の思い出②

 私の生家は沢踏切の近くの切り通しのそばで、幼い頃は生活のリズムを何時の汽車と称してめどにしていた。通勤や登校には沢街道は回り道になるので、線路そばの犬走りを通路にしている人が多かった。切り通しの端に立つと線路が下になり、汽車がよく見えた。汽車を眺めて機関士に手を振ると、汽笛を鳴らして白い手袋の手を挙げてくれるので、有頂天になり憧れた。

 夢がかない自分が機関士になった時、なんと私のために手を挙げ汽笛を鳴らしていたのではなく、場内信号の確認地点であり、信号確認の基本動作であったと知った。しかし幼い頃を思い出し、沿線で手を振る人にはできるだけ手を挙げて応えるようにしてきた。

 汽車の通った後でレールに耳を当てて遠ざかる音を聞き、線路工夫に怒られたこともあった。線路の枕木交換や道床つき固めの作業があると、近くでしばらく見ていた。道床つき固めのつるはしを上下する掛け声が面白かった。

 海水浴の高田松原の臨時停車場、準急の車内販売も懐かしい。

(一関市萩荘・千葉利二)


 大船渡線にまつわる皆さんのエピソードを文章(400字以内)や写真、絵手紙、イラストなどでお寄せください。応募は掲載のQRコードから。郵送でも受け付けます。

企画/一関市観光協会、岩手日日新聞社

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