来恩塚に誓う不戦 射殺のライオン 地元猟友会供養 一関・山目 戦後80年
戦後80年に合わせ、一関市の西磐猟友会山目分会(小岩広昭分会長)は8日、太平洋戦争中に戦意高揚などのため市内で射殺されたライオンを祭る同市山目の来恩(らいおん)塚を初めて供養した。不戦の誓いとともに、動物の命と真剣に向き合う思いが次代まで続くよう、分会員が祈りを込めた。
市内では戦時下の1944年、興業中のサーカス・黒須曲馬団所属のライオン4頭が射殺された。逃走時の危険や娯楽の統制などを理由に軍が命じ、一般の前で地元猟師が銃を向けたという。同塚は同猟友会の前身の一関猟友会が77年、三十三回忌として円満寺の墓地に建立した。
市内の小学校などではこの出来事を題材にした絵本などで戦争について子どもたちに伝えており、小岩分会長(74)=同市山目=も子どもの授業をきっかけに同塚を詳しく知り、長年供養を検討していたという。
終戦からの節目に合わせ、駆除してきた有害鳥獣も合わせて弔おうと分会に呼び掛けて実現した。同塚への供養は建立以来という。
同日は約20人が参列。中舘千里市林政推進課長は佐藤善仁市長のメッセージを代読し、「日ごろから生き物の命と身近に接する皆さんだからこそ、失われた命に深い思いがある。戦争の記憶を持つ人が少なくなる中、この地での悲劇を語り継ぐことが恒久平和実現に大切なこと」と述べた。
供養では同寺の渡邊泰英住職が読経し、一人一人が焼香し合掌した。
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momottoメモ
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電子新聞momottoのオリジナルコンテンツ「おはなし鑑賞会」では、子どもたちに伝えたい物語、大人も知っておきたい郷土の偉人や歴史を動画で紹介しています。内田正好さん(一関市川崎町)の巧みな語りで全13回。最終回「ライオンの涙」のほかの動画は、電子新聞momottoのメニュー「momotto+」→「LOCULTURE」→「モモットシアター」でご覧ください。