第2朝刊【column 一関だからこそビール!】地ビールフェスin一関
日本に初めてビールを紹介したのは一関出身の蘭学者
ビールが日本に入ってきたのは江戸時代ですが、その存在を世間に広く紹介した最初の人物が、一関出身の蘭学者・大槻玄沢でした。西洋の物を紹介した著書『蘭説弁惑』や、翻訳に携わった百科事典『厚生新編』で、ビールについて次のように説明しています。
「びいる」とて麦にて造りたる酒あり。
食後に用いるものにて、飲食の消化をたすくるものという。
(『蘭説弁惑』より)
日本に舶載されたものを見ると濃・淡の二種類がある。
色が淡いものは甘酸っぱくて渋い。
濃いものは特に渋みが強い。
試飲してみると、普通の酒や葡萄酒などのように甘美なものではない。
それでも、ヨーロッパの人々は酒宴の際は必ずこれを飲んで酔い楽しむという。
また、常飲すれば消化をたすけ元気を回復するという。
(『厚生新編』より)
ビールが一般に普及する明治以前の鎖国日本において、蘭学の大家・玄沢はビールの最大の理解者だったのです。それから約200年後の今、彼の故郷である一関で地ビールフェスティバルが日本最大規模で開催されるようになりました。ビールと一関、意外なところにも因縁があったのです。
momottoメモ
この記事は岩手日日第2朝刊「全国地ビールフェスティバルin一関 第20回記念ガイドブック」の記事です。