歴史的建造物間近に 豪商松本家宅が一般公開【奥州】
江戸時代に豪商として知られた奥州市水沢区立町の松本家宅が10月29日、一般公開された。明治時代に大隈重信や大久保利通らが宿泊した部屋をはじめ、庭園や蔵を開放。雨の中、市内外から見学者が訪れて歴史的な建造物の一端に触れた。
12代当主松本昭郎さん(89)らによると、松本家はもともとは葛西氏の家臣だったが、同氏が滅亡後は商人となり、元禄年間(1688~1704年)に呉服商の傍らみそ、しょうゆ、薬なども取り扱う商店として繁栄した。
享保年間(1716~36年)の大火後に建てた家は、1859(安政6)年の大火でも焼け残った数少ない町屋の一つ。50年ほど前に改築した際に座敷2室(いずれも広さ10畳)はほぼそのまま残した。
このうち床の間のある1室は、1876(明治9)年の明治天皇行幸の際、参議兼内務卿の大久保利通、同大蔵卿の大隈重信が宿泊した部屋。当時、天井のある部屋を持つ民家は周囲になく、選ばれたらしい。障子窓は当時「ギヤマン」と呼ばれていたガラスに変えてある。
敷地は、この地の一般的な4間(1間約1・8メートル)幅の2倍に当たる8間あって2軒屋敷と呼ばれ、奥行約50メートル。住家の奥に土蔵4棟、木蔵1棟があったが、明治に入って土蔵1棟を壊して中庭にした。庭造りに当たり、市内の黒石地内から蛇紋岩を馬車で50台分運んだとされる。
掘り抜き井戸も昔のまま残され、土蔵1棟の外壁はこの地域では珍しく関西に見られる六角形の亀甲模様が施される。土蔵内では、輪島塗の会席膳や漆器の調度品、びょうぶ、掛け軸のほか、江戸時代の8代目当主が若い頃に教養ある女性から受け取ったラブレターも公開され、見学者の関心を集めた。
同日は、一般公開に合わせたコンサートが床の間のある座敷で開かれ、全国各地の高齢者施設を慰問している金ケ崎町の歌手・原寛一さんが昭和の歌の数々を披露した。
松本さんは「コンサートの話が先だったが、せっかくの機会。水沢にもこんな座敷や庭が残っていることを市民の皆さんに見てもらうことができて良かった」と話した。