県内外

大谷 エンゼルスへ 米大リーグ きょう入団発表

大谷翔平投手

 【ロサンゼルス時事】日本ハムからポスティングシステムによる米大リーグ移籍を目指していた大谷翔平投手(23)のエンゼルス入団が8日、決まった。9日午後3時(日本時間10日午前8時)からアナハイムの本拠地球場で、観客も入れて入団発表を行う。同球団は、大谷の名前と背番号「17」をユニホームに貼り付ける作業の動画を公式ツイッターで公開した。【7面に関連】

背番号は「17」に

 大谷は日本同様に投手と打者をこなす「二刀流」を目指している。交渉は1日にスタートした。

 大谷をどうサポートする考えかを事前に各球団に文書で説明させ、候補を7球団に絞り、4、5の両日にロサンゼルスでエンゼルスのほか、ジャイアンツ、ドジャース、レンジャーズ、マリナーズ、カブス、パドレスと面談していた。

 ポスティングの手続きを取ってからわずか1週間で決めた。代理人のネズ・バレロ氏は「大谷選手はエンゼルスとの間に強い絆を感じた。それが大きかった」とした。今オフの目玉とされた自身の契約が決まらないと移籍市場が動きにくく、他選手の契約に影響を及ぼしてしまうことへの配慮もあったようだ。

 エンゼルスのエプラー・ゼネラルマネジャー(GM)は地元ラジオ局に「われわれの家族的な雰囲気を気に入ってもらえた」と語った。一方、敗れた球団の一つであるレンジャーズのダニエルズGMは「選んでもらえなかったのは残念だが、エンゼルスでの活躍を祈る」とエールを送った。

 大リーグの労使協定で、米国とカナダ以外の25歳未満の選手との契約に使える額は球団ごとに制限がある。エンゼルスは残り231万5000ドル(約2億6000万円)とされ、大谷の契約総額はこの枠内で決まる。

 大谷の獲得を目指した球団は事前にトレードを通じてこの枠の拡大に努めた。結果的に敗れた6球団は来季の補強を練り直すことになり、今後はダルビッシュ有投手らフリーエージェント選手との契約や、トレードが活発になる。

 大谷は花巻東高で卒業後の大リーグ挑戦を表明したが、2012年のドラフト1位で日本ハムに入団。16年は10勝を挙げる一方で22本塁打を打ち、投手と指名打者でベストナインに輝いた。

 大谷 翔平(おおたに・しょうへい) 花巻東高からドラフト1位で13年に日本ハム入団。14年に2桁勝利2桁本塁打を達成。15年に最多勝、最高勝率、最優秀防御率で投手3冠。日本一となった16年は投打の主力として活躍し、パ・リーグ最優秀選手。同年にプロ最速165キロを記録。193センチ、97キロ。右投げ左打ち。23歳。奥州市出身。

 ロサンゼルス・エンゼルス 1961年のア・リーグ拡張で西地区に参入。66年、本拠地をロサンゼルスからカリフォルニア州アナハイムに移転してカリフォルニア・エンゼルスとなり、97年からはアナハイム・エンゼルス。2005年に正式名称が「ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム」に変わった。

 好投手ノーラン・ライアンがいた79年に初の地区優勝。02年にワールドシリーズ初制覇。14年に9度目の地区優勝を果たした後は、プレーオフに進んでいない。就任17年目のソーシア監督は緻密な野球を得意とする名将。本拠地球場はエンゼル・スタジアム。97~01年に長谷川滋利投手、10年には松井秀喜外野手、11~12年には高橋尚成投手が在籍。

これはスタートライン

 花巻東高・佐々木洋監督 大谷の性格から、気候や都市、施設や金額の条件でもなく起用法など自分のスキルを理解し、もっとも生かすアイデアを示した、その一点で選択したのだと思う。高校時代に夢を描いたメジャーリーグへの挑戦。これはゴールではなくスタートラインに立っただけ。これからが勝負。日本球界の多くの人たちに育まれ、応援されたことに感謝し忘れないでもらいたい。たくさん苦労し、失敗もしてほしい。大谷は試練や苦労から果てしなく進化を遂げる男。応援している。

地域の記事をもっと読む

県内外
2024年4月30日付
県内外
2024年4月30日付
県内外
2024年4月30日付
県内外
2024年4月30日付