北上・西和賀

女の集う所 麗ら舎からの伝言

 「七度(しぢど)の飢餓(けがつ)にあうたってなぁ一度(えつど)の戦争(えくさ)にあうなってよう」。飢饉(ききん)と凶作に苦しんできた地域で、例え7年食べられなくても戦争よりはましなのだと言い伝えられてきた。北上市和賀町を拠点に活動する「麗(うら)ら舎読書会」では、これを合言葉として戦死者を悼む「千三忌」を営んできた。「いつか季語になるぐらいに続けよう」と始まって30年余り。おなごたちの思いをたどる。

(この企画は熊谷絵美子が担当しました)

(上)「意志の墓」と向き合って いつか季語に 千三忌重ね30年余

 「朝夕、千三さんに手を合わせていますよ」という詩人で同会を主宰する小原麗子さん(83)=同市和賀町長沼=。当地に移り住んだのを機に、高橋千三の母・セキ(1966年没)が一人息子のために建てた墓を拝むようになった。セキは生前、「オレ死ねば、戦死した千三を思い出してくれる人もなく、忘れ去られでしまうべと思って、人通りの多い道のそばさ建でだス」と語ったと伝えられる。その母の思いをくんで、戦争を考える機会として始めたのが命日に合わせた千三忌だと・・・【続きを読む】

(中)戦時 姉の生きる余地なく 問い続け、「個」重視の価値観に

 「セキさんはネ・・・」 一人息子の千三を戦争で亡くした高橋セキ。北上市和賀町長沼を拠点に活動する「麗ら舎読書会」の会員だった小原昭さん(故人)は、祖母の茶飲み友達だったセキについてこう語り、千三忌の参会者に伝えてきた。 同会が発行する文集「別冊・おなご」では毎号、冒頭に記されており、千三の墓の傍らに立つセキの写真も添え・・・【続きを読む】

(下)「詩も、田も」理想追い求め 本音で語らい、学び合う場

 女性たちが集い、語らう場となってきた麗ら舎。麗ら舎読書会を主宰する小原麗子さんは、「闘い取らねばならず!―たかが読書といっても」と題した文に開設の趣旨を記している。 子供の頃から本好きで、縁側の隅で読んでいた「わたし」。板間少なし、掃除機もありでも、炊事、洗濯、子育ては女の役目、新聞も読むヒマなしという現実があった中で・・・【続きを読む】

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