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連載小説「いけころし~伊達男捕物帳」第一話「穢れ」(1)

 赤羽、増上寺近く新堀川のほとりで遺体が発見されたのは、東の地平線がぼんやりと青白んだ明け六つ(午前六時)近くのことである。
 若同心の小川万五郎は遺体の脇で膝を折ると、うつ伏せで横たわる遺体の後頭部を提灯で照らしてみる。歳は三十そこそこであろうか、男である。
 万五郎は懐から愛用の房付き扇子を取り出すと、扇子の先をとんとんと額に当てる。田村家一関藩の家紋の入った黒漆の扇子である。扇子の先を額に当てながら検視する。万五郎にとって、これが一つのお決まりの所作である。
 細身だがしっかりとした上腕の筋肉から察するに、力仕事を生業にした町人であろう。背中には小刀で一突きにされた跡、左上半身は火をつけられたのか、腕から背中の半分にかけて黒く焼けていた。
(おそらく致命傷は背中の傷だろう。その後、火をつけたと。そして……)
 万五郎は膝を曲げたまま、にじりと振り返ると提灯を少し上げた。その先には、男の腕が転がっていた。左腕の肘から先、指の形も分からないほど焦げている様子を見るに、下手人は左腕のあたりに火をつけたらしい。
(どうやら下手人は男の腕が欲しかったようだ)
 万五郎がそう思うのも仕方なかった。なぜなら、持ち主から離れ虚しく転がる左腕には、くっきりと歯型がついていた。それはまぎれもなく人間の歯型であり、食いちぎられた箇所は現場のどこを探しても見つからなかった。
(災難とは重なるものだな)
 万五郎は深いため息をつくと鬢の辺りを掻いた。
 昨晩、郡奉行副役の中安重正が、夜道で男に襲われた。幸い中安に怪我はなく、お付の提灯持ちが腕に傷を負っただけで事なきを得た。しかし、襲われたのは天下の郡奉行副役である。定廻りと臨時廻りが総出で捜査を開始したところであった。
「弥六」
 万五郎が呼ぶと、土手の上で野次馬を整理していた小兵の男が「へい」と声を上げ、草むらを飛び越え川べりにぴょんと降り立った。
 弥六は万五郎が懇意にしている御用聞きである。十手持ちともいわれ捜査や捕縛の権限もあるが公認の幕吏ではない。
「旦那、何でございましょう?」
 弥六は少しかがんで頭を下げた。歳は万五郎より十も上だが、鳶を生業にしているせいか身のこなしは目を見張るものがあった。
 万五郎が無言で提灯を差し出すと、弥六は着物の懐から矢立を取り出し提灯の代わりに受け渡した。万五郎は矢立から筆をとりだすと、懐紙にすらすらと筆を走らせる。そして、縦に三つに折るとそれを弥六に手渡した。
「後は頼んだよ」
 万五郎の決まり文句である。遺体と文を臨時廻りの役宅まで運んでくれと暗に言ったのだ。
「旦那はどうするんで?」
「俺は愛宕下に行って、ひと眠りさせてもらうよ。昨日の夜から、飲まず食わずでさすがに体がもたん」
 万五郎は袖から二朱銀を手渡すと、その場を後にした。

 前の晩から寝ずに捜査をしていた臨時廻りに新堀川の一報が入った時、年寄格の岡川三左衛門は、万五郎に現場に行くよう指示した。
 幕府の役人が襲われた。これはいわば同心にとっては数年に一度もたらされるかどうかの好機である。人の腕を焼いて喰う、正気を失った下手人の相手などしている場合ではなかった。
 端から出世に興味のない万五郎とって、上司の岡川からの命令は大したことではなかった。むしろ、群れることが嫌いな万五郎にとっては新堀川の捜査のほうが良かった。
 万五郎は臨時廻り同心である。同心とは現代でいう所の刑事にあたる。廻り方とも呼ばれ定廻り、臨時廻り、隠密廻りの三つに分類された。
 花形である八丁堀同心とは定廻り同心のことで、臨時廻りとはその名の通り定廻りの補佐であり、大きい事件がない時は基本的に暇であった。本来は定廻りの勤めが終わった年配者がなるのが慣例だが、万五郎は将来性を見込まれ“同心見習い”という意味でひとまず臨時廻り預かりとなった。
 そのため、他の臨時廻りとは歳が一回り以上違う。下に置かれるのもしょうがないと万五郎も分かってはいるのだが。
(うぬぬ……)
 増上寺の外周を西側から北側へぐるりと回り、大名小路へ入ったところで万五郎は立ち止まり腹をさすった。ここの所、腹の具合が良くない。時々、刺すような痛みが走るのだ。
(俺も小心者よの……)
 時の鐘が五つ鳴った。辰の刻(午前七時)を迎えた町は、すでに人の息遣いに溢れていた。大八車の小気味いい車輪の音が、とぼとぼと歩く万五郎の脇を通り過ぎた。
つづく-------

《WEB限定掲載・毎週水曜日更新》

momottoメモ

吉田 真童(よしだ・しんどう)1977年11月、千葉県生まれ。3歳から一関市で暮らし、山目小・中学校、県立一関一高卒業。日本大学中退後、仙台市の建築士事務所勤務を経て地元で文筆活動に入る。2010年、第3回WOWOWシナリオ大賞優秀賞。同年の第35回創作テレビドラマ大賞を受賞した脚本「夜明けのララバイ」がNHKにてドラマ化され、12年3月全国放送。18年9月、小説「天下にきらら 幕末少女伝」を上梓した。

◆吉田真童オフィシャル「いけころし」特設サイト https://shindoyoshida.com/ikekoroshi/

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地元一関で文筆活動 念願の著書初出版・吉田真童さん

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