北上・西和賀

形見の刀 生まれ故郷に 正洞寺で展示公開 黒岩出身作家・流泉小史が所持【北上】

流泉小史が所持していたとされる日本刀を改造したサーベル。戦争の混乱期をくぐり抜け、生まれ故郷にある北上市黒岩の正洞寺で展示されている

 明治から昭和初期にかけて活躍した北上市黒岩出身の作家・流泉小史(本名小原敏丸、幼名廉次郎、1887~1940年)を顕彰する「流泉小史の会」(熊谷忠興会長)は、小史が所持していたとされるサーベルを同市黒岩の正洞寺で展示公開している。長年、東京都内の博物館に眠っていたが、縁をたどって小史の形見が戦争の混乱期をくぐり抜け70年以上の時を経て生まれ故郷に帰ったもの。たどり着いたお宝は、小史の歴史に再び光を当ててくれそうだ。

▲流泉小史の有名な小説「剣豪秘話」。文芸春秋に連載された後、1930(昭和5)年に平凡社から発刊された

 小史は上京後、流泉小史など複数の筆名でミステリー小説や剣豪小説などを新聞や雑誌に連載。幅広いジャンルで数多くの作品を世に送り出した郷土の著名人。

 展示されている刀は、長さ69・3センチ、反り1・2センチ。銘文には、室町時代後期の「永正6年」(1509年)、「備前長船」と刻まれている。東京都の登録。1933(昭和8)年ごろに小史に警視総監就任見通しの話があった際、日本刀をサーベルに改造したとみられている。

 実際には病気で就任を辞退。亡くなったため妻・哲子が戦後になって昭和女子大副学長を務めた松本昭氏に託した。この関わりで刀は東京都世田谷区の同大光葉博物館に長年収蔵され、死期を悟った松本氏が晩年の2017年7月ごろに「敏丸を里帰りさせたい」と、小史の実家近くに住み、親交のあった正洞寺住職で永平寺(福井県)にも勤務する熊谷会長に寄贈。登録などで準備を整え、19年8月に公開を開始し日の目を見ている。

 小史の形見である刀が郷里に帰ったいきさつには、哲子(1891~1974年、二戸市生まれ)の人生が大きく関わっている。日本女子大英文科に学んだ後に教師となり小史と結婚。東京大空襲で被災し、小史の友人だった松本氏の父親宅=神奈川県=に避難した際、戦中か戦後間もないころに刀を託したと推測される。松本氏自身も哲子宅に下宿し旧制早稲田高校に通った。戦後は小史の出身地である黒岩に移り住み、教育や女性運動などに尽力した。

 熊谷会長(74)は「小史の形見として哲子さんが友人に託した刀が郷里に戻ってきたことはありがたく感慨深い。大切に保存しみんなに見ていただき、郷土の著名人を多くの人に知ってほしい」と期待している。


 流泉小史 小原敏丸は幼名廉次郎。黒岩村(現北上市黒岩)生まれ。生後5カ月で父が死去、母も家を出たため祖父母に育てられた。黒岩尋常高等小学校卒業後、旧制盛岡中学(現盛岡一高)に入学したが翌年に中退、上京し明治大で学んだ。在学中に懸賞小説に応募したほか、雑誌に評論や川柳などの作品、新聞小説をさまざまな筆名で発表。1928(昭和3)年から「文芸春秋」に「剣豪秘話」が連載され反響を呼んだ。

 日本物理学の基礎を築き、日本式ローマ字創始者である二戸市出身の物理学者田中舘愛橘氏(1856~1952年)は哲子の叔父に当たる。


 流泉小史の会 2011年に発足。研究成果を掲載した会報発行や同寺近くに小史を紹介した案内看板の設置などの顕彰活動を行っている。小史が1902(明治35)年から14(大正3)年の間に祖父母や交流のあった小説家らとやりとりした書簡は約750通あるとされる。このうち同会は祖父との手紙を交換した内容を紹介する「祖父文太郎と孫廉次郎の書簡」を出版している。

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