花巻

戦争もう二度と 平和な世界次代へつなぐ 各地で打鐘【花巻】

平和への願いを込め鐘を突く齋藤さん
亡くなった部下しのぶ
県原爆被害者団体協名誉会長
齋藤政一さん

 終戦から75年の15日、花巻市愛宕町の妙円寺で「平和の鐘」が打ち鳴らされた。終戦記念日の正午に毎年行われ、同日は広島での被爆経験がある県原爆被害者団体協議会名誉会長の齋藤政一さん(96)=同市十二丁目=も参加。鐘の音とともに75年前の記憶をたどり、恒久平和を願った。

 戦時中の花巻を知るお年寄りから幼児まで、約50人が参加。林正文前住職(84)と齋藤さん、檀家(だんか)らが順に鐘楼に上がり、一人ひとりが不戦への思いを込めて鐘を突いた。

 原爆投下当時に齋藤さんは陸軍に所属し、約400人を統括していた。爆心地から約2キロの近距離で、350人以上の部下を失った。自身も頭蓋骨骨折など重傷を負い、死亡と勘違いされ埋葬寸前のところまでいっただけに「(同寺の)鐘楼に立ったら(亡くなった部下)一人ひとりの顔が浮かんできて、あの場所にいるのがつらかった。あんなことは二度とあってはならない。忘れてはならない」と力を込めて語った。

 齋藤さんは今も原爆の後遺症が残り、14種類もの薬が欠かせないという。それでも自らの足で鐘楼へ上がり、大きく、長い鐘の音を響かせた。「岩手県に500人、花巻市に40人の被爆者がいたが、原爆で負傷しながら今も命があり、体の自由が利くのは私だけ。人々に『二度と起こしてはならない』と伝えるのが役割と思っている」ときっぱりと話した。

 林前住職も戦争を知る者として、齋藤さん同様に平和への思いは強い。「(花巻空襲の直後に)血だらけの人々が寺に集まり、水を求めてできた行列が忘れられない。次の世代に平和な世界を手渡すのが私の最後の仕事だ」と話し、打鐘を終えた齋藤さんと語り合っていた。

犠牲者追悼し平和の鐘 ユネスコ協

 花巻ユネスコ協会(三田望会長)は15日、花巻市内3カ所で「平和の鐘」を鳴らす運動を展開し、犠牲者の追悼と恒久平和の願いを込めて鐘の音を響かせた。

 日本ユネスコ協会連盟が2000年の「平和の文化国際年」を契機に全国一斉に実施しており、同市では市役所新館近くの「時鐘 南部盛岡城楼鐘」、同市台の松山寺鐘楼、同市東和町土沢の浄光寺鐘楼の3カ所に約40人が参加した。

 このうち幅広い年代の16人が集まった南部盛岡城楼鐘では正午のサイレンに合わせて黙祷(もくとう)した後、鐘楼に上がって一人ひとり鐘を打ち鳴らした。若葉小学校の伊藤颯汰君(3年)は「戦争は人が死んで怖いので、やらない方がいい」と語り、祖母で会員の絵里子さん(64)は「毎年参加している。小さい頃から戦争の悲惨さや平和の大切さを考えてほしい」と思いを込めた。

 三田会長は「当時を体験した人が少なくなっており、75年という長い年月が過ぎ去ったことを改めて感じる。貴重な体験談を引き継いでいかなければならない」と話していた。

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