一関・平泉

四面庇の建物跡公開 平泉・志羅山遺跡第118次発掘調査 状態良い曲物も出土

公開された大型の四面庇建物跡。大きさは東西の長辺部(写真右上から左下)で約18メートルに達する

 平泉町教委は21日、同町平泉字志羅山地内で2020年度実施した志羅山遺跡第118次発掘調査の結果を公開した。奥州藤原氏全盛となる3代秀衡の時代とみられる四方にひさしを設けた大型建物跡のほか、周辺では石敷きや井戸跡などを確認。井戸の中からは木製の曲物(まげもの)や折敷(おしき)が良好な状態で出土した。調査を担当した平泉文化遺産センターでは当時の平泉の都市構造を把握する上でも貴重な遺構と捉えており、31日午後1時30分から一般を対象とした現地説明会を開く。

 発掘調査は町が22年7月開館を目指す社会教育施設整備に伴うもので、施設を建設する約2000平方メートルで5月から実施。北側を通っていた当時のメーンストリートとなる東西大路の側溝跡や塀跡、8基の井戸跡のほか、柱穴は後世のものも含めると約1600個もの数が確認されている。

 このうち四面庇(ひさし)の建物跡では「身舎(もや)」となる東西5間(約12・5メートル)、南北2間(約5メートル)の建物本体と本体を囲むように四方にひさしの掘立柱穴を確認。柱穴は約2・5メートルの等間隔で並び、ひさしの柱穴のさらに南北側で見つかった孫ひさしの柱穴を含めると、大きさは東西約18メートル、南北は約15メートルに達する。東西大路に面した建物跡北側では石敷き遺構も確認された。

 出土品は中国産の白磁や青白磁のほか、木製の曲物や食器などを載せる折敷、素焼きの皿のかわらけなど。かわらけは奥州藤原氏時代となる12世紀のほか鎌倉時代と考えられるものも数点見つかった。

 同遺跡では第21次発掘調査で井戸跡から完全形で出土した白磁水注が05年に重要文化財に指定された事例もあり、調査を担当した同センターの鈴木博之文化財調査員は「貴重な中国産磁器が出土したことや格式の高い建物跡から、屋敷の主は奥州藤原氏に近い有力者だったことがうかがえる。交通の要所に位置していることもあり、調査結果を基に今後も詳しい分析を進めていく」としている。

 同遺跡は調査終了後埋め戻され、12月から同施設の建設工事が始まるが、町教委では柱穴跡などの遺構をできるだけ壊さず地下保存する形で施工する方法について検討を進めている。

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