北上・西和賀

新たに複式炉発見 北上・八天遺跡 縄文時代中期末ごろ

縄文時代中期末ごろの複式炉などの発見が報告された現地説明会=北上市更木

 北上市教委が同市更木の国指定史跡・八天遺跡で行っている発掘調査で、縄文時代中期末ごろ(約4500年前)の竪穴式住居で囲炉裏(いろり)として使われた複式炉、縄文時代後期初めごろ(約4400~4100年前)の貯蔵穴が新たに発見された。過去に大型建物跡が見つかった縄文時代後期中ごろ(約3800~3500年前)より古い時代に既に集落が形成され、人々が生活していたことが分かった。

 同遺跡では1975~77年の調査で、縄文時代後期中ごろの直径約13メートルもの大型建物跡などが発見され、78年に国史跡に指定。多数の穴から見つかった耳、鼻、口形を模した土製品はその後、重要文化財に指定された。市教委は2020、21年度の2カ年で史跡の保存活用計画策定に向け、大型建物跡の隣接地を調査している。

 その結果、竪穴式住居の複式炉、採集したクリなどの木の実、食べ物を保存したの貯蔵穴が見つかった。貯蔵穴の深さは最大約1・5メートルで、当時の紋様がついた縄文土器も出土。貯蔵穴が使われなくなった後に捨てられたとみられる。

 当時の複式炉は、床に土器を埋め、周りに石を据えて火を焚(た)いていたとみられる。現在は一部分しか残されていないが、大型建物が出現する700~1000年前から人々が集落を営んでいたことをうかがわせる。

 同遺跡では大型建物跡などが見つかって以来、約40年ぶりの重要な発見となる。14日には現地説明会が開かれ、地元住民や考古学ファンら84人が参加し、関係者の説明にじっくりと聞き入っていた。

 市教委は今回の発見を生かし、同遺跡の本質的価値を明確にし21年度に保存活用計画を策定。その先に史跡整備を含む遺跡活用を見据える。文化財課の岩田貴之上席主任は「少なくとも4500年前には人々が生活し大きなムラが存在していたと推定され、その後1000年間のムラの変遷が見えてきた。今後も(有識者らで構成する)同遺跡保存活用計画等策定委員会の指導を仰ぎ、継続的に調査できれば」と話している。

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