奥州・金ケ崎

後藤支えた若き才能 池田宏(元東京市助役)関連資料紹介 後藤新平記念館【奥州】

後藤新平記念館で開かれている「シリーズ後藤新平人脈考(4)池田宏」

 奥州市の後藤新平記念館(佐藤彰博館長)の「シリーズ後藤新平人脈考(4)池田宏」が、同市水沢大手町の同記念館で開かれている。池田宏(1881~1939年)は、後藤新平東京市長を支えた3人の助役の中でも都市計画に才能を発揮した実務家。同記念館では「後藤が目を掛けて育てた若く才能ある人材の筆頭。後藤の思いを後世につないだ池田の人となりを感じてほしい」と来館を呼び掛けている。

 池田は静岡県出身。京都帝大を卒業後、内務省入省。30歳で土木局道路課長となり、1913(大正2)年からヨーロッパ遊学。特にドイツの都市計画制度に影響を受けた。

 帰国後、17(同6)年に後藤内務相が創設した内務省大臣官房都市計画課長に就任し、19(同8)年には国内初の都市計画法を起草した。20(同9)年に東京市長となった後藤により、永田秀次郎、前田多聞とともに助役として引き抜かれ、東京改造「八億円計画」作成に参画した。

 23(同12)年の関東大震災時には、内務相社会局長官から後藤に再び引き抜かれ計画局長となり、復興計画案作成に従事した。その後は京都府知事、神奈川県知事を務めた。

 29(昭和4)年に退官後、専修大、大阪商大、京都大で教壇に立った。創刊に携わった月刊誌「都市公論」などで都市問題や都市計画全般の研究、評論に尽くした。また後藤新平伯伝記編纂(へんさん)委員会理事を務めた。

 今回の展示資料は6点。池田が手掛けた東京市職制の改革に関する「東京市職制分課規定改正要領 池田助役案」、関東大震災の直後に後藤に宛てた「大震災直後処理に就て」の書簡、「都市公論 大正8年12月号」など。このほか、池田が提供した資料として、後藤が社会主義者の頭目だった大杉栄の無心に応えて300円を融通したことから発展した危機の経緯を記した新聞記事などもある。

 同館の佐藤館長は「後藤が頼みにした専門知識を持った若者の一人であり、その期待に応えた人物。展示を通じて興味を持ってもらえれば」と話している。同記念館では夏の企画展示として3人の助役を紹介する計画もある。

 展示は6月6日まで。同館は月曜休館。問い合わせは同館=0197(25)7870=へ。

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