一関・平泉

台風6号水害から20年 未来を生きる教訓に 東山・松川シンポ 当時町長ら体験談【一関】

台風6号水害の記憶を伝えようと開かれた松川防災・伝災シンポジウム

 一関市東山町の地域協働体「いわて松川やくにたつ会」(永澤源治郎会長)主催の「松川防災・伝災シンポジウム~2022~」は27日、松川市民センターで開かれた。2002年7月に台風6号水害が発生した際、旧町役場や町消防団で災害対応に当たった人たちが当時の記憶を伝え、参加者が自らの命を守る行動などに意識を新たにした。

 シンポジウムは、台風6号水害から今年で20年になることから、災害の記憶を後世に伝えようと地域住民の提案を受けて開催。地区内外から約70人が集まった。

 当時の東山町長松川誠さんと、同じく町建設防災課課長補佐だった安東正利さん、町消防団第4分団副分団長だった石崎泰男さん、現一関北消防署東山分署長の高橋剛さんの4人が登壇。

 「一人の人命も失わなかったことは奇跡的」と題し報告した松川さんは、町当局の対応や自身の動きを振り返りながら「水害を機に堤防の整備が進められたが、一人として反対する人はなかった。それだけ地域の人たちが水害の恐ろしさを実感したということだと思う」とし、「常に地域や家族の中で災害や防災について話し合う機会をつくることが大事だ」と語った。

 安東さんは「防災最前線での初動連絡の重要性」をテーマに発表。台風6号水害当時の映像や写真をスクリーンに映しながら災害が発生した7月10日から11日にかけての動き、平成時代以降の町内で発生した水害の記録などを説明した。行政側の知らせる努力と住民側の知る努力などを挙げ、「過去を知ることと伝えることが未来を生きる第一歩になる。私たちには伝えていく責任がある」と訴えた。

 石崎さんは「消防団の役割 地域の団結」と題して語り、当時の町消防団の体制や現場での対応などを報告。決壊寸前となった野谷起堤防について「堤体の強化工事をしていたため決壊を免れたと思う」と述べ、防災対策の重要性を指摘した。また、積載車で警戒中に近道を使ったところ農道で脱輪し、地域住民のトラクターによる牽引(けんいん)で脱出した体験談も披露し「どんな時も急がば回れということも必要だ」と教訓を語った。

 「風水害に備える」と題して発表した高橋さんは「市から発信される情報はもとより、自ら情報を取り、早めの避難判断をすることが命を守る行動につながる」と呼び掛けた。

 会場内には台風6号水害の写真や新聞記事、防災グッズなども展示された。

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