鍋倉城跡(遠野)国史跡に 戦国末期 大規模な山城 文化審答申【岩手】
文化審議会(佐藤信会長)は、遠野市の鍋倉城跡を国史跡に指定するよう永岡桂子文部科学相に答申した。戦国時代末期に築かれた多郭構造の山城で、県内屈指の大規模な中世山城の遺構を良好に残す。指定されれば、県内の国指定史跡は計33件となる。答申は16日付。
今回の指定は本丸、二ノ丸、三ノ丸を含む城郭主要部で、指定面積は10万7902・42平方メートル。同城跡は、市街地南端の鍋倉山(標高344メートル)に位置し、戦国大名阿曽沼広郷が1573~92年に築城したと伝わる。1600年に家臣の謀反により、阿曽沼氏は失脚。27年に盛岡藩筆頭家老の南部直義が入部し、以後、遠野南部家の拠点として明治維新まで使われた。
県教委などによると、阿曽沼氏が居城した時代の曲輪や土塁、空堀、堀切などの遺構が良好に残存。直義の入部以降も曲輪の大規模な改変はなく、中世山城の曲輪が近世期もそのまま利用された。これまでの発掘調査で、近世絵図の「鍋倉城本丸屋敷絵図」(1857年以降作製)と符号する本丸屋敷と推定される礎石建物が検出されるなど、近世期の遺構も良好に残り、戦国期から明治期まで存続した稀有(けう)な城郭として価値が認められたという。
指定の答申について、多田一彦遠野市長は「大変喜ばしい。鍋倉城跡は現在、都市公園として市民の憩いの場となっている。桜の名所としても親しまれ、城下町遠野の象徴的な史跡。我が国の貴重な史跡として永久的な保護に努めていく」とのコメントを発表した。