花巻

賢治との逸話披露 光太郎生誕140年記念講演【花巻】

宮沢賢治と高村光太郎のつながりについて語る和樹さん(左)と小山さん

 花巻市の太田地区振興会(平賀仁会長)による講演会「なぜ光太郎は花巻に来たのか」は14日、同市大通りのなはんプラザで開かれた。高村光太郎生誕140年記念事業として初めて開催され、市民ら約200人が来場。高村光太郎連翹忌運営委員会の小山弘明代表(58)と、宮沢賢治の弟清六の孫で林風舎代表取締役の宮沢和樹さん(58)が、賢治と光太郎が知り合うきっかけや逸話を披露した。

 光太郎は1945(昭和20)年の空襲で東京のアトリエを失い、同年5月に賢治の実家を頼り花巻に疎開。終戦後は旧太田村山口の山小屋で約7年間、独居自炊の生活をしながら住民と交流した。

 詩人・草野心平が光太郎に賢治の存在を伝えたことが交流のきっかけになったという。賢治が上京した際、アポイントなしで光太郎のアトリエを訪れたが、小山代表は「(光太郎は)仕事が忙しく、明日また来てくれといって賢治はすぐに帰った。次の日に賢治は来なかった。光太郎もいきなり賢治が訪問してきて、面を食らったのではないか」と推測した。

 光太郎は賢治の実家に疎開した際に、清六に「日本中に爆弾を落とされてもおかしくない。防空壕(ごう)を作るべき」と提言したという。和樹さんは清六に語られた話を思い出しながら「防空壕があったおかげで原稿が戦火から免れた。光太郎先生が祖父に提言しなければ、全て焼けてしまっていた」と説明した。

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