花巻

「農学校通り」に看板 賢治ゆかりの通学路PR 花西地区【花巻】

生徒や賢治が利用していた農学校通りを示す看板

 花巻市の花西地区まちづくり協議会(菅原眞也会長)は、宮沢賢治が教壇に立った旧花巻農学校(現県立花巻農業高校)の通学路を示す看板を設置した。通学路はかつて地元住民から「農学校通り」の愛称で親しまれ、賢治も歩いたとされる。看板は同市若葉町、藤沢町両地内4カ所に設置。同協議会では、農学校通りの存在が多くの人に認知されることを願っている。

 賢治は1921(大正10)年に東京から花巻に戻り花巻農学校の前身である稗貫農学校の教諭となり、26(同15)年に退職した。旧花巻農学校は同市若葉町に校舎があり、生徒と教諭の多くは農学校通りを通って通っていたという。

 藤沢町の住民から「通りの存在を知らない人も増えてきているので、周知した方がいいのではないか」との提案を受け、同協議会が5年ほど前から準備を進めて2022年に完成。看板は、ぎんどろ公園から嶋勘商店倉庫前花壇までの約650メートル区間に設置した。大きさは縦約90センチ、横約180センチと縦約25センチ、横約90センチの2種類で、花巻農学校周辺を描いた31年製の地図と賢治の関わりなどが記されている。

 花巻農学校校舎の解体工事に参加したという菅原会長は「地元の人でも花巻農学校の場所や通りの存在を知る人が減ってきている。看板をきっかけに新たな観光スポットとなってくれれば」と話している。

地域の記事をもっと読む

花巻
2025年5月18日付
花巻
2025年5月18日付
花巻
2025年5月18日付
花巻
2025年5月18日付